Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
For. 朋子 様 - キリリク : 20,000 Hit
番 外 編  [かご][とり]見上[みあ]げる[そら]には
 白亜のフラウ城が葡萄酒色に染まる頃、中庭では隣国の使者をもてなす盛大な宴が開かれていた。
 その中央、宮廷楽師の[たえ]なる音曲[おんぎょく]に合わせて、[あで]やかに舞う影がある。
 篝火[かがりび]を受けて、煌く白刃[はくじん]。伸びやかにしなう、力強い四肢。観客を魅了する、翠玉の瞳――。
「何て美しい殿御[とのご]なんでしょう……」
「帝都防衛隊長のユウザ・イレイズ様だ」
「まぁ! あの方が武人だなんて、信じられませんわ」
 そう囁き合うは、主賓、マルジュナ共和国の使者たちだ。皇帝の求めに応じ、剣舞を披露する若き武人に目を奪われ、杯を運ぶ手もぴたりと止まる。
「驚くのは早い。ユウザ様は陛下の御嫡孫にして――」
 言いさして、声をひそめる。
 愛玩用の奴隷なのだ――と。
「見事です、ユウザ」
 舞い終えて、その場に膝を折ったユウザに、皇帝が、にこりと微笑みかけた。
 厳格な種姓制度がはびこる、イグラット帝国。
 [][]べるは、神の血を引く皇族の[おさ]。今年で御年[おんとし]六十八歳になる女帝、ハシリス四世だ。
「勿体のうございます」
 深く[こうべ]を垂れたユウザは、ハシリスの賛辞を受けて、ゆっくりと[おもて]を上げた。満足げな祖母の表情に、小さな安堵の息を[]く。
 自分より身分の高い者に請われれば、何人[なんぴと]といえども、その者に隷属せねばならない――。
 この一風変わった奴隷制度は、イグラット建国当初から続く、悪しき因習であった。
 天与の美貌で主の目を楽しませ、その心を慰める I 種。身の回りの雑事をこなす II 種。労働力として、肉体を酷使する III 種。
 用途に合わせ、三つの階級に分けられた奴隷たちは、主人の許しを得る日まで、その心身を拘束される。
 この掟は皇族であれ――いずれは帝位を継ぐであろう者にも、容赦なく適用された。
 イグラット皇家三代、ユウザ・イレイズ。
 ハシリスの実孫である彼が、彼女の I 種になって早十三年。三年前より帝都防衛をも任されているが、本来の――奴隷としての務めが果てることは無かった。請われるままに舞い、[うたげ]の席に華を添える。
 貴い身であるはずの自分が、こうして見世物同然の扱いを受けている事に対して、しかし、彼自身、大した不満はなかった。
 祖母に隷属を強いられるという関係が、常識的に考えて普通で無いことは判っている。だが、祖母が自分を[しいた]げるような真似をするのには、何かしら意味があるのだ、とユウザは信じていた。
 だから、自分が今日の宴席に呼ばれたのにも、きっと訳があるはず――。そう思い、ユウザは素早く客席を見回した。
(今夜の主賓は、マルジュナの使者だったはずだが……?)
 上座に陣取った異国の男女を見遣り、ユウザは微かに眉を寄せた。国賓だというのに、その最も上席にあたる場所――ハシリスの足元が空席のままだった。
 他にも誰かが来るのだろうか? と、不審がっていると、ユウザの視線に気づいたハシリスが、頬を弛めた。
「ユウザよ、今宵はゆるりと寛ぎなさい」
 白い羽の扇子をそよそよと動かし、中座は許しませぬ、と[いわ]くありげに微笑む。
「御意のままに」
 何やら[いぶか]しく思いながらも、ユウザは舞台を下り、酒席に加わった。
 [えん]もたけなわの頃。
 緩やかに流れていた楽師の演奏が、ぱたりと[]んだ。それと同時に、城の内から、青い人影が現われる。
 何事かと騒がしくなった会場は、中庭に下り立った者を見て、水を打ったように静まり返った。宮人に導かれてやって来るのは、紺碧の夜会服に身を包んだ、うら若い娘だった。
 正面をひたと見据える、青玉の瞳。咲き始めの薔薇のように、ぽってりと紅い唇。白い顔を縁取る長い銀髪が、篝火に照らされて火色に輝いている。
(……魔性の者か?)
 この世の者とも思えない、娘の圧倒的な美しさに、ユウザは思わず息を呑んだ。宮城[きゅうじょう]に集められた I 種を見慣れている所為で、美≠ニいうものに鈍感になりつつあった彼は、目をこじ開けられたような気がした。
 人々に見守られる中、娘が玉座に向かって歩を進める。
 その足取りは、裾の長い夜会服[ドレス]を着ているにもかかわらず、きびきびとして荒く、お世辞にも優雅とは呼べなかった。なのに、その洗練されていない動きが、彼女のしなやかな肢体に驚くほど似合っている。
 娘は皇帝の御前[ごぜん]に跪くと、ぎこちなく臣下の礼をとった。
「待ちかねましたよ、サイファ」
 [わらわ]の愛しい小鳥、と微笑して、ハシリスは彼女に顔を上げるよう命じた。
「陛下の御前[みまえ][さん]ずる幸福を賜り、身に余る栄誉でございます」
 おずおずと命令に従いながら、サイファと呼ばれた娘は、侍従長に仕込まれたとみえる口上を、涼やかな美声に乗せた。
(侍女たちが騒いでいた、陛下の新しい I 種とは、この者のことか)
 ユウザは、昼間耳にした噂話を思い出した。
 今朝方、白い鷲を献上する為に、若い女の狩人がやってきた。その美貌を一目で気に入ったハシリスは、重臣たちの猛反対を押し切り、その場で娘を召し抱えたのだという。
 古来より、皇帝の御前に控えることを許されたのは、皇族と由緒ある宮人だけで、平民の娘が奴隷として求められたのは、帝国開闢[かいびゃく]以来、初めてのことだった。
(全く……)
 さざめく列席者たちを大らかに見渡し、満足そうに笑んでいるハシリスを見て、ユウザは思わず苦笑した。新しい玩具を手にした子供が、皆に見せびらかして喜んでいるようなものである。
 老いてなお好奇心旺盛なハシリスは、珍しいものや新しいものに目が無い。かといって、すぐに飽きるかといえば、そんな事は無く、一度気に入ったものは決して手放さないのだ。それが物であろうと、人であろうと――。
 中座するなと念押しされたのは、この為であったか、とユウザが納得しかけると、ハシリスがやおら立ち上がった。サイファの手を取り、国賓をも凌ぐ上席へと自ら案内する。
 その様子に、宴席は騒然となった。生き神≠スる皇帝が奴隷に手を貸すなど、信じられない光景だった。
(……なるほど)
 祖母の真意を悟り、ユウザは微かに目を細めた。ハシリスの細やかな心遣いに、敬服を新たにする。
 ハシリスが公衆の面前でサイファに対する思い入れの強さを見せつけたのは、恐らく彼女を守るためだ。
 皇族や宮人が皇帝に召される場合、それは即、栄華に結びつく。高位を与えられ、様々な恩寵を賜る。おまけに、奴隷とはいうものの、元が高貴な身の上だけに、身体[しんたい]を束縛されることも無い。
 では、それが何の身分も、後ろ盾も持たない平民の娘ならば、どうだろう? 身の回りの者全てが自分より上位にあり、その身を服従させる資格を有しているのだ。
 ハシリスの寵愛が無ければ、どんな憂き目に遭うか――。サイファを見つめる男どもの視線を辿れば、火を見るより明らかだった。
(それにしても――)
 ユウザは、ハシリスの足元で、ちびちびと酒を飲んでいるサイファに、妙な違和感を覚えた。彼女は、ユウザが今までに見てきたどの I 種にも見られない、不穏な空気を漂わせていた。
 普通、皇族の奴隷として召し抱えられた平民は、心身の不自由に戸惑いながらも、夢のようなご馳走や装飾品の数々に、少なからず喜色を表わす。しかし、サイファは全く違っていた。
 細い腕に幾重にも巻きつけられた黄金の鎖や、胸の前で揺れる黄玉の首飾りを、煩わしそうに何度も何度も手で撥ね退けては、眉を[ひそ]めている。その顔には、大きく不快≠フ二文字が貼りついているようだ。
 そして、もう一つ気になったのは、時折、彼女が何かに[]えるように、きつく唇を噛み締めることだった。とても苦しそうな顔で。
(宴席に馴染めないのだろうか?)
 そう思った時、ユウザの頭に、ふと不吉な事件が蘇った。
 数年前、とある皇族に仕えていた平民の少年が、住む世界の違いと、多数の者に支配される重圧に堪えかね、自ら死出に赴いたという。誹謗された皇族は、そんな事実はないと言い張っていたが、後日、[]の屋敷から、小さな柩が運び出されたとか……。
(まさか……な)
 サイファの[しか]めっ面と、ハシリスの顔に浮かぶ童女の如き笑みを見比べながら、ユウザは小さく[かぶり]を振った。その考えが、自分の思い過ごしである事を祈りつつ。
 真夜中。
 床に就いていたユウザは、城内を巡る忙しない足音に眠りを破られた。上着を羽織って廊下に出ると、ちょうど出くわした衛兵に、何事か、と尋ねた。
「実は、今日、陛下に召された I 種が……」
 言いよどむ兵士に、ユウザは一瞬にして眠気が覚めた。
「命を絶ったのか!?」
 鋭く尋ねると、兵士は、いえいえ、と首を振った。
「愚かにも、逃亡を図った模様で……」
「何と!?」
 ユウザは思わず天を仰いだ。
 []えある皇帝の奴隷が逃げ出すなんて、前代未聞の不祥事だ。
(まぁ、死なれるよりは、ずっとましか)
 心中でこぼしながら、私もすぐに参る、と言って、ユウザは居室に引き返した。手早く着替え、外衣[マント]を掴んで外に出る。
 松明の集まる先に行くと、帝都防衛隊副隊長、ナザル・ベークが衛兵たちに指示を出していた。ユウザに気づくなり、険しさの漂う顔をしゅんと曇らせる。
「お休みのところを、申し訳ありません」
 ユウザ様のお手を煩わせる事では無いのですが、と忌々しげに唇を歪めた。
「構わぬ。それより、現況を報告いたせ」
 ユウザは深緑の外衣[マント]を躰に巻きつけながら、門は閉ざしたのであろうな? と、首を傾げた。しんみりとした夜気が、頬を撫でる。
「東西南北、全ての門に兵を配しております。逃げてから、さほど時も経っておりませぬし、何と申しましても女の身ですから、そう遠くへは行けないかと――」
「なるほど。だが、あの娘は侮れぬぞ。女だてらに猟師をしていたくらいだ」
 どんな場所に潜んでいることやら、とユウザが眉を寄せると、ナザルは顔を引き締めた。
「今一度、城内を探らせます。人が入りこめそうな場所、全て」
「うむ。隊の指揮は、お前に任せる」
 言い置いて、ユウザは[きびす]を返した。
 何となく、嫌な予感がした。城の者でも近づかない危険な個所を、一人、重点的に捜し歩く。
 ガラクタが散乱する、狭い屋根裏部屋。三階の窓枠に届こうかという大木。巨大な歯車が剥き出しになった、人気[ひとけ]のない時計塔……。
 思いつく限りを回ってみたが、人影はおろか、それらしい痕跡さえも残っていない。闇雲に逃げて、危険な目にでも遭っているのでは? と懸念したのだが、どうやら杞憂に終わったようだ。
 幾分ほっとしながら、ユウザは顎に指をあて、じっくりと考えこんだ。
 追っ手がかからぬ安全な逃げ道とは何処か? 不案内な場所から、どうやって確実に逃げ遂せるか?
 もし、自分が逃亡者なら――?
(私なら、屋根伝いに行く)
 迷宮のように入り組んだ城を迷うことなく脱け出すには、上から見渡すのが一番手っ取り早い。されど――。
(いくら男勝りでも、そんな芸当が出来るだろうか?)
 疑念を抱きつつ、ユウザが裏庭に回った時、露台[バルコニー]の辺りを黒い影が走った。
(まさか!?)
 よくよく目を凝らすと、まるで猿のように、柵から柵へと飛び移るサイファ・テイラントの姿が見えた。これなら、屋根の上を走る方が、まだ安全と言えよう。
(何と無謀な)
 ユウザは舌打ちすると、一度、建物の内に入った。紅い絨毯が敷き詰められた廊下を駆け抜け、恐らく彼女が飛び下りるであろう地点へと先回りする。
 ここで待てば、と庭に出た瞬間――。
「危ない!」
 頭上から女の悲鳴が降ってきた。反射的に身を翻し、落ちてきた物体をしっかりと受け止める。
 サラリと落ちる、銀の髪。微かに寄せた、三日月の眉。瞑った瞼をゆっくりと[ひら]けば、吸い寄せられるような青い瞳が焦点を結ぶ。
(間一髪……だな)
 小さく息を[]き、ユウザはサイファの体を下ろした。
 落胆と困惑を覗かせつつ、それでも勝気に輝く瞳。悔しげに噛み締められた唇が、諦めない、と主張しているようだった。つまり、反省の色は皆無だ。
(とりあえず、無事で何より)
 馬鹿な事をしてくれるものだ、と思いながらも、ユウザが彼女に対して腹を立てることは無かった。
 むしろ、心からの同情を覚える。鷲を上納しようとした忠義が、その人生を狂わせてしまったのだから……。
「早く慣れろ」
 それだけ言うと、ユウザはサイファの腕をつかみ、無言で歩き出した。歩きながら、こんな事しか言えない自分に嫌気がさす。
 囚われの鳥が、その籠の狭さに慣れたところで、一体、何の意味がある? 籠の隙間から仰ぐちっぽけな空に、叶わぬ夢を持てというのか?
(今の私には、どうしてやることも出来ぬ)
 こぼれそうになる溜息を、ユウザは辛うじて飲みこんだ。心の奥底で[くすぶ]る冷たい炎が、ほんの一瞬、火勢を増す。
 薄っすらと[しら]み始める東の空。
 長い、夜が明ける――。
終   - 2003.07.04 -

POSTSCRIPT

* 反転させて読んで下さい。
『奴隷 I 種』、初めての番外編です。
「サイファ&ユウザの出会い」というリクエストにお答えしたわけですが、全く色気が無いですねぇ……。おまけに、暗くて重めです。
でも、時系列からいくと、どうしようも無いんですね。この頃の二人は、運命の恋人というより、宿敵に出会ってしまったようなものですから。
そして、とどめは、本編で「無言で連行された」と書いてしまった事でしょう。二人の間に、全く会話を入れられなかったのがツライところです。
そんな訳で、こんな感じに仕上がってしまいました。朋子様、お気に召して頂けたでしょうか?
神沢 青
  
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