Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
For. 歌帖楓月 様 - 御礼 : イラスト
番 外 編  イグラットの休日[きゅうじつ]
 イグラット帝国皇太子、ユウザ・イレイズの一日は多忙を極める。
 夜明けと共に床を上げるや、食事以外――時には、その時間さえも政務にあて、神事に身を捧ぐ。
 しかし、この日の朝は違った――。
「こら! いくら休みの日だからって、いつまで寝てるんだよ!」
 皇太子付きの新米女官、サイファ・テイラントは、声をかけると同時に鳩羽紫の天蓋を勢い良く引き開けた――ものの、ぎょっとして、その場で固まった。
 寝台の上で、うつ伏せになって熟睡している主人は、剣術で引き締まった臀部の辺りに辛うじて上掛けが引っかかっているだけの、一糸纏わぬ姿だった。
「……もう、朝餉の時間か?」
 サイファの声で目を覚ましたユウザが、気だるげに頭をもたげた。寝起きの緩慢な仕種が凶悪なまでに色っぽい。
「違う! もう、昼餉だよ!」
 なるべく主人の姿を直視しないようそっぽを向きながら、サイファは小言を返した。体に悪いほど、心臓が激しい鼓動を刻んでいる。
「……なるほど。いくら久しぶりの公休でも、一日中、褥で過ごす訳にはいくまいな――」
「うわあ! ダメ、ダメ!」
 眉を顰めながら上体を起こそうとするユウザを、サイファは慌てて制した。このまま起き上がられたら、えらいことになる。
「何を、そんなに慌てて――」
「いいから! 動くなってば!!」
 サイファが、ユウザの逞しい肩の辺りを両手で押さえつけた時だった。
 ゴンッ!
[いた]っ!」
[]っ!」
 勢い余って、サイファはユウザの額に頭突きを食らわせる格好になった。目の前で、白い火花が散った気がした。
「……ごめん、大丈夫か?」
 くらくらする頭で、とりあえず謝罪の言葉を呟いたサイファだったが、ふと、自分の声に違和感を覚えた。不審に思いつつ、顔を上げると――。
「私は大丈夫だが……気をつけろ」
 額を押さえつつ、こちらを見返してくるのは、紛れもない自分の顔だ。
 一瞬、鏡を見ているのかと思ったが、違った。その見慣れた顔が、たちまち驚愕に歪む。
「これは、どういうことだ!?」
 目の前にいる自分は、両手を眼前に翳し、しばらく凝然としていたが、ついで、姿見の前に走った。
 その様子を、サイファはぼんやりした頭で見守っていたが、ふと、肌寒さを覚え、己の体を見下ろした――瞬間。
「嫌ぁー、何これっ!!!!」
 低い男の声が、室内にオネエ言葉として轟いた。
「……全く以って信じられないことだが、どうやら、先のお前の頭突きのせいで、互いの体と精神が入れ替わってしまったらしいな」
 一人掛けの寝椅子に体を預けたサイファは、煩わしげに銀糸の髪をかき上げた。眉間に寄った皺が、深い。
「入れ替わったらしい、って! あんた、こんなことになってるのに、よくそんなに冷静でいられるな!?」
 泣きそうな顔で部屋中を歩き回っていたユウザが、恨みがましくサイファを一瞥した。このまま元に戻れなかったら、どうするんだよ? と、唇を歪ませる。
「こんな時だからこそ、落ち着かねばならぬだろうが。お前も、ウロウロしていないで、ここに座れ」
 目の前の二人掛けを指差し、サイファは冷めた目でこちらを見返してくる。見慣れたはずの自分の顔に、初めて見る表情が浮かぶのは、何とも不思議だった。
「……どうすれば戻れるんだろ?」
 大人しく指図に従いながら、ユウザは上目遣いにサイファを見た。とても、落ち着いてなどいられなかった。
「こうなった原因が、互いの頭をぶつけたことによるものなら、もう一度、同じことをすれば戻れるやも知れぬ」
「じゃあ、早速、やってみようよ!」
 座ったばかりのユウザは勢い良く腰を上げた。そうして、早くも身構える。
「まぁ、待て。それは、あくまで最終手段だ。まずは、過去にこのような体験をした者がおらぬか調べてみよう」
 頭にもう一つ瘤を作るのはそれからで良い、と苦笑して、サイファは優美に立ち上がった。行くぞ、と軽やかに裳裾を翻す。
 その様子を見ながら、ユウザは、同じ体でも中身が違うと仕種まで全く違うのだな、と妙なところで感心した。女の自分が支配しているよりも、ユウザの魂に操られている時の方が、よほど優雅で女らしい己の肉体を複雑な思いで眺める。
「……おい、その顔はやめろ」
 ふいに振り向いたサイファが渋面を作った。
「顔?」
「その、家鴨のように歪めた唇だ。女のお前がすれば愛らしいが、男の私がそんな甘えた顔をしても、見苦しいだけだ」
 今は己の体が己のものでないことをしかと心得よ、と言って、自分こそ、サイファの体を動かしている自覚なんてカケラもないんじゃないかと思うくらい、美しい足取りで廊下を歩んでいく。普段のサイファの粗暴な身ごなしを知る者が見たら、たちまち怪しまれるだろう麗しさだ。
「なあ、何処に行くんだ?」
 前を歩むサイファに大股で追いつき、肩を並べながら、ユウザは低く問うた。自分の言葉がユウザの声に変換されて耳に届くことに、なかなか馴染めない。
「図書室だ」
 短く答えて、サイファは急に表情を険しくした。彼女の視線を追うと、前方に、美しく着飾った婦人たちの一団が見える。
「……陛下の I 種たちだ。良いか、ここからは私のフリをしろ。何か声をかけられても、片手を上げてみせるだけで良い」
 絶対に言葉を発するな、と言われ、ユウザは神妙に頷いた。普段の彼が、妙齢の婦人達を相手にどんな会話をしているのかなど、知る由もなかった。
「まあ、ユウザ様。ご機嫌麗しゅう」
 こちらに気づいた婦人の一人が、にこやかに歩み寄ってきた。
 檸檬色の長衣に、栗色の艶やかな髪を結い上げた、美しい女だ。それに倣うように、他の女達もぞろぞろと後からついて来る。
 ユウザは言われた通り、軽く右手を上げて応えるに留めた。サイファと二人、そのまま女達とすれ違おうとするも、例の声をかけてきた女に正面から行く手を阻まれる。
「こんな所で供もお連れにならずに一人歩きなさっているなんて、お珍しい。よろしければ、ご一緒にお茶など如何ですか?」
 女はユウザだけを真っ直ぐに見上げて言った。隣にいるサイファなど、初めから存在していないとばかりに。
 何と応じたら良いものかとユウザが逡巡していると、女の視線を遮るようにサイファが二人の間に割って入った。
「ご機嫌よう、クローディア様。せっかくのお誘いですが、本日、殿下は喉を痛めておいでです。畏れながら、これ以上の会話はご遠慮くださいますよう」
 口調は柔らかく、しかし、キッパリと女を牽制する。
 しかし、クローディアと呼ばれた女は少しもたじろがなかった。
「お黙りなさい。私の名を呼ぶ名誉を、平民上がりの奴隷風情に与えた覚えはありません」
 彼女は汚らわしいものでも見るような眼差しでサイファを侮蔑すると、再びユウザに視線を据えた。
「喉の痛みに効く薬湯もご用意できますわ。一杯くらい、宜しいでしょう? ユウザ様ったら……いつお誘いしても、お付き合い下さらないんですもの」
 ね? と、甘く媚を含んだ瞳が見上げてくる。恐らくは、やんごとなき皇族の姫君なのだろうが、こうして擦り寄ってくる様は手練の娼婦を思わせた。
 いよいよ対応に困ったユウザを救ったのは、またしてもサイファだった。
「薬湯ならば、御典医が処方したものを既にお飲みになっておりますゆえ、心配ご無用。――さ、参りましょう」
 さりげない仕種でユウザの腕を取り、さっさと歩き出す。
「お待ちなさい! 私はユウザ様とお話しているのよ!」
 何と無礼な、と憤るクローディアを、振り返り様、サイファが睥睨した。
「私は皇太子殿下付の女官長。殿下のご意向は、この私が一番よく存じ上げております」
 声を荒げた訳ではない。世にも冷ややかな眼差しが、一瞬にして女を黙らせる。
 勝負あったな、とユウザは胸の内で呟いた。今度、誰かに因縁をつけられたら、今の表情を真似てみよう、とも思う。
「ゆえに、私の言葉は皇太子殿下のお言葉と思っていただいて結構です」
 サイファは冷淡とも思えるほど平板な口調で続けると、では、失礼、と優雅に一礼し、こちらに目配せした。
 ユウザは我が意を得たりとばかりに鷹揚に頷いてみせ、悠々とその場を離れた。
 後に残された女達がどうしたかは、知らない。
「あんたが女だったら、敵に回したくないな」
 書架に整然と並ぶ歴史書の背表紙を目でなぞりながら、ユウザはくすりと思い出し笑いをした。サイファに睨まれた時の、クローディアの何とも言えない表情が、ありありと浮かぶ。
「それが賢明だな」
 机上に置いた分厚い書物をゆったりと繰りながら、サイファは事も無げに言う。私は敵には容赦しない。
「全く、そういうところがおっかないんだよ」
 ユウザは小さく肩をすくめて、サイファの隣にどっかと腰を下ろした。
「――で、何かわかった?」
「いいや。それらしい事例は見当たらない」
「じゃあ、やっぱり、もう一回……?」
「そう結論を急ぐな。もうしばらく入れ替わっていたところで、支障はあるまい」
 本を閉じながら、サイファは大きく伸びをした。
「何言ってんだ! 支障、大有りだよ! さっきだって、あたしがどんな気持ちで――!」
 言いさした台詞をユウザは途中で飲み込んだ。尖らせた唇を制するように、サイファの人差し指が伸びてきたからだ。
「わ・た・し・が、どんな気持ちでいたって?」
 言葉遣いに気をつけろ、と言いたいらしい。
「ヒヤヒヤして、生きた心地がしなかった!」
 ユウザは吐き捨てるように言うと、ぷいとそっぽを向いた。サイファの軽口が、この事態を面白がっているように思えてならない。
 このまま、本当に元に戻れなかったら、どうしよう? 強い不安が胸に渦巻き始めた時。
「この不可解な現象が、頭に衝撃を受けたことによるものなら、痛み以外の衝撃を与えても、同じような作用が起こるかもしれない」
 ふと、サイファが真面目な顔で、こちらを見た。
「痛み以外の衝撃って言ったって……例えば、どんな?」
 ユウザは首をかしげた。全く思いつかない。
「そうだな……例えば、こんな」
 ほんの一瞬、考える目をしてから、サイファは無造作にユウザの唇に接吻[キス]をした。
「ちょっと! こんな時に、何考えてんだ!!」
 ユウザは慌ててサイファの体を押しのけた。それに対し、しかし、サイファは平然と答える。
「元の体に戻る方法だ」
 それ以外に何がある? と言って、うろたえるユウザの首筋に諸腕を絡めてくる。その様子が、やはり何処か遊び半分に見えて、ユウザは声を荒げた。
「冗談は止せってば!」
 しなだれかかっていたサイファの体を、つい力任せに振り払ってしまう。
「あ!」
 男の力で手加減なしに突き飛ばされたサイファは、後ろに大きくよろめき、椅子から落ちそうになった。
 ユウザは咄嗟に手を伸ばし、それを阻止したつもりだったが、気づけば立場が逆転していた。一体、何をどうされたものか、床の上に仰向けに転がされ、それを無傷のサイファが頭上から覗きこんでいる。
 よほど上手に足払いされたのだろう。倒れた背中も、腰も、全く痛まなかった。
「あんた、ホント、何考えてんだよ?」
 起き上がろうとして、床に手をついた時、再び信じられないことが起こった。サイファが胴の上に跨ってきたのだ。
「動くな」
 短く命じて、サイファは着ていた青い長衣の釦を外し始めた。一つ、二つと、上から順に躊躇なく外されていき、胸の膨らみが半ばまで見えたところで、ユウザは我に返った。
「あんた、人の体で何する気だ!?」
「何って――何だ」
 涼しい顔で上着を脱ぎ捨てようとするサイファの腕を、ユウザは全力で押さえつけた。
「あんた、気は確かか? 今、あんたの体は、あたしの体なんだぞ?」
「そんなことは百も承知だ」
 ユウザの手を煩わしげに外しながら、サイファは不貞腐れたように唇を尖らせる。私だって、抱かれるより、抱く方が良いに決まっている、と。
「だったら、何で!?」
「一刻も早く、お前を抱ける立場に戻るためだ」
 いいから大人しく身を任せろ、と囁いて、サイファの唇がユウザのそれを強引に奪う。しなやかに、柔らかく、執拗に繰り返される深い口づけ。
「……だ……め、だって、ば……」
 わずかに離れた二人の唇の隙間から、ユウザは熱い吐息交じりに抗議する。おかしくなる、と。
「かまわぬ」
 紅く濡れた唇を妖艶にほころばせ、サイファが微笑んだ。
 その青く誘いこむような瞳が、とても自分の瞳だとは思えない――。
 魅入られたように見つめあったまま、ユウザは力の抜けた体でサイファの唇を受け入れた。
 書き物机の上に射し込む西日が、金粉を散らしたように微細な光を弾いて煌いている。
「もう、こんな時間か」
 筆を置き、ユウザは背後で静かに時を刻んでいる柱時計を顧みた。鈍い飴色の針が、十六時を告げている。
 書き上げたばかりの手紙は、墨の香も高く、黒々と濡れていた。
 久しぶりに与えられた休日は、ついつい溜まった仕事を片付けることに費やしてしまった。せっかくの休みだというのに、自室から一歩も出ないまま、一日が終わってしまいそうである。
「乾くまで、一息入れるか」
 そう言えば、昼餉を終えた後、何も口にしていなかったのを思い出し、ユウザはサイファの姿を室内に探した。しかし、彼女がいつもかけている苔色の長椅子は無人である。
「サイファ?」
 書き物に集中し過ぎて、サイファが出て行ったことにも気づかなかったか、と訝りながら、ユウザは席を立った。自分で注いだ葡萄酒の杯を片手に、窓辺に置いた寝椅子へ向かうと――。
「……我が女官殿は、良いご身分だな」
 ユウザは思わず微苦笑を浮かべた。
 一人掛けの寝椅子の上で、猫のように膝を抱えて丸くなったサイファが、小さな寝息を立てていた。天窓から降り注ぐ陽射しが、彼女の体を光の毛布のように包んでいる。
「一体、どんな夢を見ているのやら」
 薄く開いた唇はしっとりと潤い、三日月の眉が悩ましげに顰められている。
 その扇情的ともいえる寝顔は、少し苦しげに見えて、起こしてやった方が良いのか迷った。だが、深い眠りを妨げるのも気の毒に思え、ユウザはそっとサイファの体を抱き上げた。軽すぎず、重すぎもしない健康的な重みが両腕にかかる。
 そのまま、横抱きにしたサイファを起こさぬよう用心しながら、ユウザは赤絨毯の廊下を抜け、彼女の青い部屋へと運び込んだ。濃紺の掛布が敷かれた寝台に、ふんわりと横たえる。
「せめて、夜までゆっくり休め」
 ユウザにとって、今日が久しぶりの公休であるのと同時に、サイファにとっては、一日中、主の傍に控えていなければならない、気の抜けない日であったはずだ。
 ユウザはサイファの体に上掛けをかけてやると、彼女の白い額と頬、それから唇に、それぞれ短い接吻[キス]をして、静かに部屋を後にした。
 明日から、また忙しい日々が始まる。
終   - 2011.12.31 -

POSTSCRIPT

* 反転させて読んで下さい。
『奴隷 I 種』 番外編、第八弾でございます。
今回のお題は、サイト開設当初から交流させていただいている歌帖楓月様のリクエストで、「サイファ&ユウザの中身入れ替わり(実は二人のどちらかが見た夢というオチ)」or「ユウザの完全OFF日(最後はユウザの部屋でうたたねしてしまったサイファをお姫様抱っこで部屋に連れて帰る)」でございました。
本当は、複数いただいた案の内のどれか一つで執筆すれば良かったものを、せっかくだからミックスしちゃえ! という、作者の無謀な挑戦により、このような物語に落ち着きました(^^;)
今回はネタ&オチまでご指定いただいていたので、いかにして、そのような状況に持ち込むかで苦労いたしましたorz
そのため、執筆にえらいこと時間がかかりまして、歌帖さんには長々お待ちいただくことになり申し訳なかったです。
でも、最初から「夢オチ」であることを良いことに、思う存分、羽目を外させていただきました(笑)
歌帖さんのご期待に応えられていることを、切に願います。
神沢 青
  

INFORMATION

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あなたの愛ある一言が、作者の原動力になります!
 
 うちの子も、ぜひ描いてやって下さいまし☆ ⇒ 絵板

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