Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 2 話  意図[いと]するものは
「全く! 陛下のお[たわむ]れは、度が過ぎます!」
 深紅の絨毯[じゅうたん]をドシドシと踏みしめながら、ナザル・ベークが吠えた。
 短く刈りこんだ栗色の髪に、筋骨逞しい体つきは、正に獣のようで、その腰には、一般兵に支給されている長剣ではなく、戦闘用に改良した特注の斧を下げている。
「陛下の気まぐれは、今に始まった事ではあるまい」
 隣を歩む血気盛んな従兄を、ユウザは冷めた目で見やった。実際は、ただ見ているだけなのだが、彼の硝子玉のような緑眼は、感情を映しにくい。
「しかし! ユウザ様は陛下の御嫡孫[ちゃくそん]であらせられます。それを田舎娘の子守に宛がうなんて、あんまりです!」
 ナザルは大きく腕を振り回した。ユウザの不遇を我が事のように嘆く。
 彼は母方の従兄で、行く末は皇帝となるユウザを幼い頃から守ってくれているのだ。
「仕方があるまい。私は陛下の孫である前に、一人の奴隷なのだから。意に背く事は出来ぬ」
「ユウザ様……」
 お[いたわ]しや、と目頭を押さえるナザルに、ユウザは[]えて笑ってみせた。
「そんな顔をするな。物は考えようだ」
 帝都防衛のお役目ですり減らした神経を、銀の娘≠ノ慰めてもらおうぞ、と。
「わかりました……。ユウザ様が築かれた都の平穏は、この[わたくし]が必ずや死守いたします!」
 不承不承頷いたナザルだったが、途中から気を取り直したように胸を張った。先ほど、ハシリスからユウザの後任を[おお]せつかったばかりであった。
「期待している」
 笑顔で応じたものの、ユウザは新たに課せられた任務を思い、憂鬱になった。
(陛下も、厄介な仕事ばかり押しつけて下さる……)
 美しいが、あまりに奔放すぎるサイファは、城の皆から[うと]まれていた。毎晩の逃亡未遂は勿論のこと、城の生活習慣に少しも馴染もうとしないのだ。
 まず、 I 種の務めともいえる装うこと≠しない。それどころか、体を[いまし]める物を極端に嫌い、装身具はおろか、靴さえ履かない始末である。
 唯一身につけている左耳の金の環は彼女の私物であり、それだけは片時も外さない。
 そして、何より人々を辟易[へきえき]させたのは、サイファが献上品として連れてきた白い鷲であった。
 彼女にだけは懐いているようだが、それ以外の人間が近づくと、たちまち攻撃をしかけてくる。おかげで負傷者続出だ。
(そういえば、村に弟を残してきたと申していたな……)
 その者を城に引き取れば、少しは大人しくなるだろうか? などと、思案していたところ、ナザルに脇腹を[つつ]かれた。
 顔を上げると、前方から叔父のバスティル・ノースがやって来るのが目に入った。
 白地に金糸で刺繍[ししゅう]の施された壮麗な神官装束で、神職特有の長い三つ編みの髪と、陶器のように白い肌が目を引く。
「おや、防衛隊長殿ではないか」
 二人に気づいたバスティルは、にこりと笑った。
 叔父といっても、ユウザと五つしか違わないバスティルは、ナザルと同じ、二十三歳だ。その若さで神官長を務めている。
 神官長は神の子≠ナある皇太子の次位にあたる高位で、ユウザが十五歳で防衛隊長に任命されたのもかなり異例のことだったが、バスティルの神官長就任は、それを遥かに上回った。
 バスティルは、ハシリスが高齢になってから出来た子で、大変な難産の末に産まれた。その所為か、彼女の次男に対する溺愛ぶりは目を[みは]るものがあり、いつか災いの種になるのでは、と密かに危惧する者もいる程だった。
「ご機嫌よう」
 ユウザは優雅に腰を折った。
 囁かれる噂はどうあれ、兄弟のように育ってきたバスティルを、彼は好いている。
「そなたも元気そう……と言いたいところだけれど、そうでもないようだね」
 ユウザの浮かない顔を見たバスティルは、どうかしたの? と首を傾げた。
「実は、昨夜、防衛隊長の任を解かれました」
「何と! そなた以上に優れた武人が他にいるとも思えぬが……」
 一体、どんな失態を? と問われ、ユウザが返すより先に、[たま]りかねた様子のナザルが口を挟んだ。
「ユウザ様に非は一切ございません! 銀の娘の目付け役をせよ、との陛下のご所望にございます!」
「なるほど、また母上の我が侭か。とは言っても、確かに、あの娘には手綱をつけねばなるまいね」
 目を離したら何処[どこ]まで行くか分からない、とバスティルは、くすくす笑った。
「殿下! 笑い事ではございませぬ!」
 ナザルが顔をしかめて抗議すると、バスティルは、そう怖い顔をするものでは無いよ、と苦笑した。
「お前がユウザを想う気持ちは良く解る。でもね、母上の命令に一番戸惑っているのはユウザ自身なのだから」
 側近のお前が支えてあげなくては、と優しく微笑む。
「はい」
 ナザルは先ほどまでの毒気がすっかり抜けたように、神妙に頷いた。
 バスティルの温和な笑顔は、あらゆる感情の波を、たちどころに鎮めてしまう。ユウザも、何度、その笑顔に慰められたかわからない。
「ユウザ、お前にとっては不服かもしれないけれど、あの優美な姿を一日中見ていられるのは、役得というものだよ」
 バスティルは朗らかに笑うと、神官らしく神の御加護を祈ってくれた。
 サイファの部屋を訪れた時、彼女は露台[バルコニー]に立ち、遠くを眺めていた。その[かたわ]らでは白い鷲が目を光らせている。
「何が見える?」
 後ろ姿に尋ねると、彼女は、何も、と虚ろな目をして振り向いた。
 裾が大きく広がった水色の礼服[ドレス]姿のサイファは、口さえ開かなければ、とても上品に見える。
「あんたも律儀だね。いくら陛下のご命令とはいえ、用も無いのに来るなんて」
 小馬鹿にしたように肩を竦め、サイファは寝台に寝そべった。白い鷲が彼女の後を追うように、その足元に降り立つ。
「これが仕事だ」
 私の事は無視しろ。ユウザは群青色の長椅子に腰かけ、ぐるりと室内を見回した。
 サイファの部屋は、彼女の瞳と同じ、青を基調にまとめられていた。
 群青色の窓掛[カーテン]、濃紺の絨毯、天蓋[てんがい]つきの寝台に横たわる、銀色の娘……まるで、彼女自身も調度品の一部のようだ。
(居心地の悪い部屋だ)
 黒髪緑眼のユウザは、自分がこの部屋にそぐわない、借り物のように感じられた。同時に、飾り物として扱われる少女を不憫に思う。
「……なぁ、あんたの後は、誰が引き継ぐんだ?」
 サイファはゴロリとうつ伏せになり、こちらを見た。青い瞳が、水面[みなも]に照り返す陽射しのように[きらめ]く。
「ナザル・ベークだ」
 ユウザが答えると、サイファは、あの熊か、と得心がいったように頷いた。ナザルが聞いたら憤慨しそうな言い草である。
「都の守りに興味が?」
「まさか! あんたが隊長の時はすぐに見つかっちゃったけど、あの熊が相手なら逃げ遂せるかな、と思っただけだよ」
 サイファは不敵に微笑んだ。その不遜な態度でさえ、彼女を蠱惑[こわく]的に見せる。
「愚か者。今日からは私がお前の監視役だ」
 逃げられる訳がなかろう、とユウザは呆れた。
 名目上、サイファ・テイラントの教育係≠ニいう肩書きがつけられたが、所詮は彼女の番人である。
「監視って、あんた、まさか一日中ここに居る気か!?」
「そのつもりだが?」
「冗談じゃない! 今だって十分窮屈なのに、これ以上、縛られてたまるか!」
 サイファは寝台の上に跳ね起きた。驚いた鷲が羽をばたつかせる。
「元はといえば、お前が望んだ事ではないか」
 一人では退屈だったのだろう? と、ユウザが皮肉めいた笑みを浮かべると、サイファは枕を抱え、再び倒れ込んだ。
「見張りを頼んだ覚えは無い!」
 むくれたように、背を向ける。
「私だって、お前と鬼ごっこを続ける気は無い」
 あまり手を焼かすなよ、と言って、ユウザは腰の長剣を[テーブル]に置いた。[つか]に緑玉が[]め込まれたこの[つるぎ]は、ハシリスからの[たまわ]り物である。
(皇帝の犬……か)
 手入れの行き届いた[けん]を眺めながら、ユウザは昨夜のサイファの言葉を思い返した。
 彼が奴隷としてハシリスに召されたのは、今から十三年も前の事である。やっと物心がついたユウザに、ハシリスは孫としてではなく、 I 種として仕えるよう命じたのだ。
 ユウザの父である皇太子は、未来の皇帝が奴隷になるなど論外、として猛反対したのだが、現皇帝が、掟は掟、と押し切った形だった。
 しかし、当のユウザは、父の憂いとは裏腹に、素直に皇帝の求めに応じた。
 ハシリスをお婆様≠ニ呼ぼうと、陛下≠ニ呼ぼうと、幼かった彼にとっては、どちらでも良いことだった。いつも忙しい祖母の傍にいられる事が、ただ嬉しかったのである。
 最初に与えられた仕事は、ハシリスのために歌舞を披露する事だった。宮廷楽師の演奏に合わせて舞い、ついでに笛や琴も一緒に習った。この頃の名残か、彼は今でも笛を[たしな]む。
 やがて、ユウザが字を覚え始めると、目が衰えてきた祖母の代わりに、内容も解らない難しい本を朗読させられるようになった。
 それが帝国憲法や兵法に関する書物だと気づいたのは、半年後、彼に家庭教師がつけられるようになってからだ。
 こうして朗読の仕事を続ける傍ら、今度は剣舞が見たい、と望まれたユウザは、剣術指南も受け始めた。それが七歳のことである。
 歌舞のお陰で身のこなしが軽やかだった彼は、めきめきと腕を上げ、美しく舞うというだけでなく、実戦でも抜きん出るほどになった。
 その実力は、毎年、帝都で開かれる剣術大会で、彼が最年少優勝を果たした事によって、広く世に知れた。
 ハシリスはそれを大いに喜び、その時ばかりは祖母の顔になった。ユウザもまた、それが何より嬉しくて、さらに技を磨いた。
 剣術と勉学に励む日々は、その後、数年あまり続き、ユウザは成人の儀を迎えた。
 イグラットでは満十五歳を成人と見なし、長子は特に、家を背負[しょ]って立つという意味を込め、その背に家紋の刺青[しせい]を施す。
 それは、かなりの苦痛を伴なったが、その痛みに耐えて見事な墨を入れた者ほど、人々の尊敬を集めた。
 ちなみに、ユウザの背にはイグラット皇家の紋である勇猛な[わし]が、今にも舞い上がらんと翼を広げている。
 それから程なく、背中を覆う熱も治まった頃、ユウザは正式に帝都防衛隊長≠ノ任ぜられた。
 これはハシリス直々の命によるものだったが、隊員たちの猛反発を招いた。いくら剣術に[]けているとはいえ、兵役の経験も無いユウザが部隊を動かすのは不可能だ――と。
 ところが、大役に抜擢された彼は、周囲の不安をよそに、帝都の守りをより強固なものにした。
 幼い頃から学んできた兵法の知識を生かし、衛兵の配置から、訓練の内容、果ては兵に取らせる食事まで、一から練り直したのである。
 ユウザの着任に不平を露わにしていた部下たちは、彼の先見や采配の確かさを身をもって知るや、たちまち彼の信奉者となった。誰もが彼の能力を認め、その若さゆえに心酔した。
 そのため、ユウザが指揮する新生・帝都防衛隊≠ヘ、強大な軍事力を誇るイグラット帝国軍の中でも、一躍、精鋭部隊として名を馳せた。
 そして、今――。
 ユウザを軸に、兵士の団結が一層強まった矢先の解任劇だった。
(陛下は、私に何を望んでいらっしゃるのか……)
 ユウザは思わず溜息をもらした。これまで、彼は一度としてハシリスの命令に不満を抱いた事は無かった。しかし、今回、初めて疑問を感じた。
 ユウザが今までにこなしてきた仕事は、結果的に、全て自身の為になるものだった。それがハシリスの意図≠ノよるものだと、彼は固く信じている。
 それなのに、今度の仕事はどうであろう? 粗野な田舎娘を見張ることで、何か得るものがあるのだろうか……?
 いつの間にか不貞寝[ふてね]してしまったサイファに、ユウザは、そっと近づいた。
 足元の鷲が、彼女を守るように、翼を広げて威嚇[いかく]する。
「心配するな。危害を加えるような真似はしない」
 ユウザが琥珀色の瞳に笑いかけると、鷲は大人しく羽を畳んだ。なかなか利口な鳥である。
「人を襲うのは、主を守るため……か」
 ユウザは吐息まじりに呟いた。
 静かな寝息を立てているサイファは、天女と見紛[みまご]う麗しさだった。
 思わず口づけしたくなるような、紅い唇。無防備に[さら]された、細い[うなじ]。程よい丸みを帯びた、しなやかな肢体――。
 彼女に良からぬ欲望を抱く者は、きっと一人や二人ではないだろう。
 ユウザは彼女の体を隠すように、そっと上掛けをかけた。
(寝ている間は可愛いものだ)
 サイファの健やかな寝顔は、ユウザの心を和ませた。
 日頃の政務で身を削っているハシリスが、彼女を手元に置きたがるのもわかる気がする。
 しかし、こうした安息を求めるには、彼は少々若すぎた。
 平穏な暮らしより、差し迫るような緊張の中に身を置きたい――。
(早く、陛下の御心が変わって下されば良いが……)
 お目付け役一日目にして、ユウザは早くも解任を切望していた。
- 2003.03.28 -
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