Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 8 話  [たび]道連[みちづ]
(さすがに天馬は速いな。もう城が見えなくなった……)
 ユウザは窓枠に肘を着き、移りゆく景色を感慨深げに眺めていた。
 天馬は皇居上空を瞬く間に翔け抜け、南へと向かっていた。
 遥か遠くにシューケリオン山脈の壮大な山並みが広がり、地上には帝都を本拠とする商家の屋敷が碁盤目状に並んでいる。
 ふいに女たちの笑い声が上がった。向かいに座るサイファとミリアは、女同士、気が合うようで、先ほどから他愛もない話をしていた。
「なぁ、ミリア。あんた、年は幾つだい?」
 何の気なしに聞いていると、どんな話題からそうなったのか、サイファがミリアの年齢を尋ねた。
「まっ! 淑女[しゅくじょ]にそんな質問をするなんて、礼儀違反よ!」
 ミリアはユウザの方をちらちらと気にしながら、サイファを[たしな]めた。
(淑女……か)
 五年前、ミリアが城にやって来た日の事が思い出された。
 行儀見習として II 種になった彼女は、サイファの奔放さとは違った意味で気ままだった。
 商家のお嬢様として、我が侭いっぱいに育てられたミリアは、主人として仕えるべきユウザを一目見るなり、私の I 種にしてあげるわ! と、目を輝かせた。しかし、彼が皇帝の孫だと知ると、じゃあ、お嫁さんになってあげる、と屈託なく笑ったのだった。
 この自惚れ屋の少女に、ユウザは呆れはしたものの、腹を立てる事は無かった。彼女の言葉が純然たる好意から発せられたのは明らかで、権威ある者に媚びない姿勢は、幼いながらに立派に見えた。
 正直で自由を愛するという点においては、サイファとミリアは、似た者同士と言える。
「何? あんた、そんな可愛い恰好してるけど、実は、人に言えないほど若作りしてるとか?」
 サイファのあけすけな言い[よう]に、ユウザは[こら]え切れず、笑い出した。
「馬鹿なことを。ミリアは、今年、成人したばかりだ」
「ユウザ様!」
 あっさり暴露してしまったユウザに、ミリアが頬を赤くして抗議する。
「なんだ、じゅうぶん若いじゃないか」
 あたしより二つ下だな、とサイファが笑い、銀鼠[ぎんねず]色の長靴[ちょうか]を履いた脚を、無造作に組み替えた。
 淑女にあるまじき乱暴な所作だったが、ユウザは、それを咎める気にはなれなかった。
 一見、楚々としたサイファが見せる粗暴な振るまいは、不釣合いな魅力となって彼女を際立たせた。
 それは、サイファ・テイラントのみが纏える独特の空気だった。
 彼女の軽く、しなやかな身のこなしと、誰にも屈しようとしない気の強さ。希望と絶望を[][]ぜにしたような、不安定な心――。
 これら全てが、絶妙に絡み合っている。
「若いとか、年下だからいいっていう問題じゃないわ! 宮廷に仕える奴隷なら、きちんと常識を[わきま]えなさいよね!」
 ミリアの金切り声を聞きながら、ユウザは苦笑した。自分なんかより、ミリアの方がよっぽど教育係らしい。
「ユウザ様も、笑ってらっしゃる場合じゃありません!」
「ああ、分かった。――それより、ミリア。下を見てみろ。アンバス家の屋敷が見えるぞ?」
 怒りの矛先が自分に向けられる前に、ユウザは話題を変えた。折しも、天馬がアンバス家の上空にさしかかったところだった。
「あら、本当だわ!」
 思惑通り、ミリアが嬉しそうに窓から首を出す。
「何処? 何色の屋根?」
 ミリアに覆い被さるようにして、サイファも下を覗きこんだ。
「あれよ、あの赤紫の……」
「ああ! あのとんがり屋根ね」
 そう言って、サイファは更に身を乗り出した。
「おい、あまり寄ると――」
 危ない、とユウザが注意するより早く、死にたいのか? と凄みを利かせた声がした。
 護衛として馬車に付き従っている、グラハム・バリだ。
 背中に幅広の剣を背負い、黄色みがかった茶色の髪に蘇芳[すおう]色の布を巻いている。眼光が鋭く、眉間に刻まれた深い皺が、その表情を一層険しいものにしていた。
 サイファとミリアは顔を見合わせ、大人しく引っ込んだ。
「すまない」
 ユウザが礼を言うと、グラハムは黙って目礼を返した。
 愛嬌は無いが、護衛としての腕は一流で、ハシリスやバスティルの私的な警護を任される程の人物だった。ユウザに彼を紹介してくれたのも、バスティルである。
「ユウザ様! タンブル川が見えてきました!」
 少々、白けてしまった車内に、御者台から陽気な声が分け入った。
 三人は再び窓の外に目を遣り、各々[おのおの]、感嘆を漏らした。大小様々の帆船が、大河を賑やかに行き交っている。
 イグラット領のほぼ中央を流れる雄大なタンブル川は、水源としてだけでなく、水路としても重要な役割を担っていた。領内で生産された農産物や工芸品の数々は、ほとんど例外なく、この川を通って各地に運搬される。
 皇家の支配がイグラット全土に行き届いているのも、この河の恩恵に[よく]するところが大きい。そして、これからディールへと赴くにも――。
「パティ! コメンタヴィアまで、馬を休ませなくても行けるか?」
 御者台に向かって尋ねると、パティ・パジェットの、大丈夫です! という元気な答えが返ってきた。
 その姓が示す通り、彼はパジェット家の人間で、モーヴの孫である。幼い頃から一緒に遊んだ仲で、五つ年上のナザルがユウザの兄貴分なら、六つ年下のパティは弟分に当たる。
「コメンタヴィア? そんなとこから船に乗ったら、ディールに着くのは三日後になっちゃうぞ?」
 二人の遣り取りを聞いていたサイファが、不満を漏らした。一週間しかないのに、と。
「それは、人が漕ぐ場合だろう? 風狼[ふうろう]船を使うから問題ない」
「はぁっ!? 使わなくていいよ! そんな金のかかる[もん]!」
 ユウザの言葉に、彼女は顔色を変えた。天馬で十分だから、と首を振る。
 風狼船≠ヘ、風狼石という魔石が生み出す風――妙風[みょうふう]をその帆に送り、任意に船を操るものだ。人力の何十倍も速く進めるが、魔石を使う分、かかる費用も数十倍である。
「おかしな奴だな。旅費の事など、お前が気にする必要はない」
 そう言いつつも、彼女の庶民らしさや、いつまで経っても贅沢に馴染まない態度を、ユウザは好もしく思っていた。
 皇帝に仕えた平民はサイファが初めてだが、皇族に仕える者は意外に多い。そして、その殆どが奢侈[しゃし]に流され、堕落していく様を、ユウザは数え切れないほど見てきた。
 だから、彼女がそうなら無いよう――今と変わらぬよう、切に願う。
「何だか、悪いなぁ……」
 気にするなと言われても無理なようで、サイファは眉を曇らせた。
「では、こう考えろ。陛下はお前が元気になって城に戻ってくる事を望んでいらっしゃる。だから、お前は一刻も早く里に帰り、英気を養わなくてはならない。それが使命だと」
 ユウザは彼女の青い瞳を見つめた。その目は丸く見開かれている。
「……あんたの柔軟すぎる物の考え方には、恐れ入るよ」
 サイファはしみじみと言った。
「人間、気の持ちようで、どうとでもなるものだ」
 ユウザは平然と返すと、外に目を遣った。
 タンブル川がトルビーリャ湖に流れこんでいく様がよく見える。その河口に開ける大きな町が、港町、コメンタヴィアだ。
「間もなく、着陸します!」
 パティのかけ声に合わせて、天馬は少しずつ高度を下げていった。車輪が地面に接触した衝撃で車体が軽く跳ね上がる。
「痛っ!」
 サイファが小さく叫んだ。どうした? と尋ねると、黙って舌を出してみせる。珊瑚色の舌先に、ほんのりと血が滲んでいた。跳ねた拍子に噛んでしまったらしい。
「どれ? よく見せてみろ」
 サイファの顎に指を伸ばすと、彼女は慌てて身を引いた。
「大丈夫だよ! このくらい何でもな……」
 言いかけて、口を[つぐ]む。今度は早口で喋った所為で噛んだようだ。
「落ち着きの無い奴だ」
 ユウザは小さく吹き出すと、座席の下の物入れを探った。
「ほら、これでも舐めていろ」
 銀色の丸い缶を取り出し、[ふた]を開ける。
 今朝、アグディルから贈られた餞別で、小さな缶いっぱいに、色とりどりの金米糖[こんぺいとう]が詰まっていた。いつまでも自分を子供だと思っている、父らしい贈り物である。
「わぁ、可愛い!」
 ミリアがはしゃいだ声を上げた。
「お前も食べるか?」
 くすりと笑って勧めると、彼女は顔をほころばせ、いそいそと手を伸ばした。
「食べたくないのか?」
 中々、手を出そうとしないサイファを、ユウザは覗きこんだ。彼女は、砂糖菓子を見ながら、物思いに耽っていた。
「いや、そんな事ない。――ありがとう」
 我に返ったように顔を上げると、サイファは水色の粒を摘まんで、私の瞳の色だ、と笑ってみせた。
 その様子が何処かぎこちなく思え、ユウザは首を傾げた。
 出立前も何となく顔色が悪かったが、今もあまり調子が良くないようだ。
(船に乗りこんだら、少し横にならせた方が良いかもしれぬな)
 馬車が止まるのを感じながら、ユウザは次の行程に思いを巡らせた。
- 2003.04.25 -
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