Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 22 話  星明[ほしあか]りと[つき][かげ]
 宵の空に星が瞬き始める頃。
「ただいまー!」
 サイファは家の前で跳ねている人影に向かって、大きく手を振った。ラヴィとテラの笑い声が聞こえる。
「お帰りなさい!」
 タッタカと駆けてきたラヴィがサイファに飛びつき、ちょっと来て! と、彼女を家の中へ引っ張って行く。
「ユウザ殿よ、死相が出てるぞ」
 戻ってきたユウザを見るなり、テラは苦笑いになった。何があった? と、首を傾げる。
「何も」
 ユウザは力なく首を振った。
 何もない≠ゥら、ぐったりしている。自分の右手を見つめながら、心中でぼやいた。
(全く、酷い拷問だ)
 立場を[わきま]えねば、と自分を[いさ]めたばかりだというのに、彼の胸には、今もサイファの温もりが残っている。
 ぴったりと寄せられた、しなやかな躰。しゃくりあげる度に漏れる、熱い吐息……。
 泣いている彼女を慰めてやりたくて、胸に引き寄せたのが拙かった。
 自分を信じて甘える彼女を抱き潰したりしないよう、持てる理性を総動員して、何とか持ち[こた]えた。今度、同じような事があったら、抑える自信は皆無である。
「あーあ、せっかく気を利かせてやったのに」
 テラが、やれやれと肩をすくめた。
「要らぬ世話……と言いたいところだが、そなたのお陰で願いが叶ったのでな。礼を言う」
 ユウザは微苦笑しながら、彼に頭を下げた。
 トーギからサイファが母親の墓にいると教えられた時、お前一人で行け、と言い出したのはテラだった。傷心を癒してやるのも教育係の務めだろう、と。
 おまけに、ユウザに同行しようとする野暮なグラハムを、力尽くで抑えてくれたのも彼だった。だから、ああして鎮魂の呪を唱えてやることが出来た。
 今ごろグラハムは、イライラしながらユウザの帰りを待っていることだろう。
「――まぁ、全然収穫がなかった訳でもないようだから、良しとするか」
 ユウザの胸元に手を伸ばし、テラが意味ありげに笑った。その指先には、銀糸のように長い髪が一本、絡め取られている。
「誤解されるような真似はしていない」
 そんな目で見るな、とユウザは苦笑で返した。
 吐き出される台詞とは正反対で、テラの瞳には隠し切れない険がある。頭ではサイファを託そうとしているのに、心が追いつかないらしい。
「修行が足りねぇな」
 テラは小さく舌打ちして、ガシガシと頭を掻いた。決まり悪そうに唇を歪める。
「互いにな」
 彼の肩に手を載せ、微笑んだ時、サイファが家から飛び出してきた……と思ったら、また引っ込んだ。そして、戸口に隠れるようにしながら、こちらの様子を窺っている。
「何をしているのだ? あの娘は」
 ユウザが眉をひそめると、テラがにっかりと笑った。
「俺たちの仲を勘繰ってるんだろうよ」
 そう言って、肩に置かれたユウザの右手に、自分の左手を重ねる。その瞬間、サイファが、わあっ! と叫んで駆けてきた。
「ちょっと、テラ! 手なんか握って、何する気だよ!」
 慌てて、ユウザとテラを引き離す。心なしか、その顔が赤く見える。
「何って、男同士、友愛を深めていたに決まってるだろう?」
 テラがケタケタと笑い、他に何に見えるんだ? と、意地悪く問いかけた。
「うぅ……」
 サイファは言葉に詰まり、きゅっと眉根を寄せた。その拗ねたような困り顔が、何とも言えず愛らしい。
(この男がここまで[ひね]くれたのは、この娘の所為か)
 サイファを愉しそうに苛めているテラを見て、ユウザは妙に納得した。あんな顔を見せられたら、病み付きにもなるだろう。
「――それより、何か用があったのではないか?」
 助け船を出してやると、サイファはこくこくと頷いた。改めてテラに向き直り、ぺこりと頭を下げる。
「今、銀狼の子供を見てきた。ありがとう」
「おう、気に入ったか?」
 テラがにっこりすると、サイファは無邪気に笑った。
「すっごく嬉しい!」
「そいつは良かった。――で、どうする? 襟飾りにでもするか?」
 今すぐ絞めてやるぞ? と、テラが尋ねると、サイファはふるふると首を振った。
「ううん。まだ小さいし、家で飼うことにしたよ」
「止めとけ、止めとけ。情が移ったら、殺せなくなる」
 せっかくの金づるを無駄にする気か? と、テラが顔をしかめる。
「いいんだよ。手懐けて、猟犬の代わりにするって、ラヴィが張り切ってるんだ」
 そう言って目を細めたサイファは、まるで、子供を見守る母親のようだ。自分の損得よりも、愛する者を優先する。
「ふーん。ラヴィ様のご所望とあらば、仕方がねぇな」
 テラは諦めたように肩をすくめると、ついでに大きな欠伸をもらした。
「――それじゃあ、俺、そろそろ帰るな」
 眠そうな顔のまま、手を上げる。
「ええっ! 夕ご飯、食べていかないのか?」
 サイファは不服そうに唇を尖らせた。父さんも楽しみにしてたのに、と駄々をこねる。
「そうしたいのは山々だけど、[じじい][ばばあ]が、可愛い俺様の帰りを待ってるんだよ。朝、荷物を置きに戻っただけで、後は一日出歩いてただろ? せめて、夜くらいは孝行してやらねぇと」
 膨れるサイファの頭を撫でながら、テラは、また明日な、と諭した。ところが――。
「じゃあ、今晩、あたしがテラの家に泊まりに行くよ!」
 いい事を思いついた、とばかりにサイファが両手をぱんと打つ。
(何を言い出すんだ、この娘は……)
 二人の遣り取りを横で聞いていたユウザは、思わず力が抜けた。
 いくら幼なじみとはいえ、年頃の娘が男の部屋に泊まりに行くというのは、如何なものか?
「え? いや、でも、それはちょっと……なぁ……?」
 ぎょっとしたテラが、助けを求めるようにこちらを見る。サイファに恋心を抱いているだけに、その目は切実である。
 ユウザは、先日、船上で眠れぬ一夜を過ごした自分を思い返した。あれは本当にきつかった。
「そうだぞ。お前も一人前の淑女なら、もっと[たしな]みを――」
「だって!」
 説教しかけたユウザを、サイファがムッとして遮った。
「誰かさんがテラを一日中引っ張り回してくれたから、話す時間がなくなったんじゃないか!」
 じろっと睨まれ、閉口する。言われてみればその通りで、返す言葉が見つからない。
「それはそうだけど、断わらなかったのは俺だし、明日も昼まで居られるんだからさ。そう怒るなよ」
 返り討ちにあったユウザを、テラが庇ってくれる。麗しき男の友情だ。
「では、こうすれば良い。明日、私が天馬で、テラを町まで送って行ってやる。そうすれば、少しでも長く村に留まっていられるだろう?」
 詫びの気持ちで提案すると、サイファは目をきらきらさせた。
「それなら、あたしも一緒に送ってく!」
「そいつはいい。サイファも来るんなら、いっそのこと、早めに村を出て、三人で街をそぞろ歩きしようぜ」
 地方都市とはいっても、ディールよりは面白い物を見せられるはずだ、とテラも乗り気になる。
「良い考えだが、グラハムが何と言うか……」
 ユウザは顎に指を当て、微かに眉を寄せた。
 パティやミリアを丸め込む自信はあっても、グラハムを口説き落とすのは相当骨である。
「だったら、最初から皆で行けばいいじゃないか」
 ミリアやパティも誘ってさ、とサイファが小首を傾げる。
「いや、そういう問題ではないのだ。予定外の行動を取るというだけで、反対されるのは目に見えている」
「それじゃあ、こっそり脱け出すってのは?」
「なお悪い」
 真顔で[]かすサイファに、ユウザは失笑を漏らした。
「どうしよう?」
「何か、いい方法はねぇかな?」
 サイファとテラが、ああでもない、こうでもない、と真剣な顔をして思案してくれる。そんな彼らを見て、ユウザは小さく息を[]いた。
 それだけで、じゅうぶんだと思った。
 自分の為に、こんなにも心を砕いてくれる。それだけで――。
「お前たちの心遣いには感謝する。だが、私のことは構うな。天馬を貸してやるから、二人で楽しんでくれば良い」
 本心からの言葉だったが、途端に二人が眉をつり上げた。
「良くない! あんたが居なくちゃ、つまらない!」
「貴殿が行かぬなら、この計画は無しだ!」
 同時に怒鳴られて、ユウザは目を[みは]った。
「大体、あんたは、物分りが良すぎるんだよ。未来の皇帝陛下なんだから、少しくらいワガママを言えばいい」
 サイファが踏ん反り返って腕を組む。
 しかし、その瞳は切なくなるほど優しくて、思わず視線を逸らした。胸の内に熱いものがこみ上げてくる。
「……すまない」
 ユウザは静かに息を吐き、真っ直ぐに顔を上げた。
「何とか、説き伏せてみよう」
 しかつめらしく言うと、サイファとテラが、やんちゃな笑みを浮かべた。
「そうこなくっちゃ!」
「なりませぬ」
 夕餉[ゆうげ]の席で明日の予定を告げると、グラハムがにべも無く反対した。そんな思いつきで行動なさって、何かあっては大変です、と眉間に深い皺を寄せる。
 全く、予想通りの反応だ。
「そうですよ。あの男を送り届けるくらい、僕にお任せ下さい」
 二日酔いから復活したパティが、胸を張った。ユウザ様の行啓は極秘なんですから、とグラハムに追従[ついじゅう]する。
 これは予想外の反応だった。
 パティのことだから、一も二も無く飛びつくと思ったのに、どうやら、今朝の一件が彼の忠誠心に火をつけてしまったらしい。
「極秘だからこそ、都合が良いのではないか。平服でうろつく分には、誰も、私が皇族とは気づくまい?」
 負けじと無理押しを図ると、給仕をしていたミリアが口を挟んだ。
「それは不可能というものですわ。ユウザ様の御身内[おみうち]から溢れる神気は、どんな恰好をなさっても絶対に消せませんもの」
 すぐにバレてしまいますよぉ、と笑って、ユウザの[さかずき]に葡萄酒を[そそ]ぐ。
「その通り! ユウザ様は燦然と輝く夜空の星なんです!」
 彼女の言葉を受けて、パティが大きく頷いた。お前もたまには良い事を言うな、と余計な台詞を吐いて、ミリアにキッと睨まれる。
「……夜空の星、か」
 ユウザはぼそりと呟いた。
 それが褒め言葉であることは良く解っているのに、酷く憂鬱になった。
(この身の半分が人ならば、その輝きも半分で良いのに……)
 こんな時、自分の血を心底[うと]ましく思う。体≠大事にされる余り心≠ヘいつも[ないがし]ろだ。
(やはり、あきらめるしかないか……)
 自分の身に何かあった時、罰せられるのは供の者たちである。サイファには我を張れと言われたが、十八年間培われてきた律儀さは如何[いかん]ともし難く……。
 仕方が無い、と溜息をこぼしかけた時、ふと名案が浮かんだ。我知らず、笑みがこぼれる。
「ユウザ様?」
 くつくつと笑い出した彼を、三人が怪訝[けげん]な顔で見つめた。
「ミリア、明日の朝、サイファ・テイラントに典礼用の正装をさせてくれ。隣町に表敬訪問させる」
「は? あの奴隷娘をですか?」
 ユウザの突飛な言いつけに、パティがあんぐりと口を開ける。
然様[さよう]
 ユウザは鷹揚に頷いた。
「彼女は[]えある皇帝陛下の I 種であり、民の羨望を集める幸福な娘≠セ。その故郷であるディールは、隣町、ルファーリの管轄内」
 里帰りを報告しない訳にはいくまい? とにやりとする。
「そんな事をなさっては、殿下の行啓が公になってしまいます!」
 グラハムが珍しく顔色を変えた。いけません、と強く首を振る。
「案ずるな。私は彼女の教育係。従者の一人として参る」
 それならば問題なかろう? と、ユウザは穏やかに笑んでみせた。それにつられるように、三人の頬がわずかに弛む。
 自分の笑顔に人心を和らげる力があるらしい事を、ユウザ自身、良く心得ていた。
 少々ずるい気もしないではないが、いつもは人の為にしか使わないその[わざ]≠、一度くらい自分の為に使ったところで、罰は当たらないだろう。
「……御意」
 案の定、三人は渋々ながら頷いた。
「では、よしなに」
 言い置いて、ユウザは食堂を後にした。廊下の窓から、月影が晧々と射し込んでいる。
「私がただの星≠ネらば、隣に月≠置けば良い」
 満天の星空に浮かぶ十六夜[いざよい]の月に目を奪われながら、ユウザは独り[]ちた。
 小さな光≠ヘ、より大きな光≠ノ駆逐される――。
- 2003.06.18 -
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