Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 23 話  主従逆転[しゅじゅうぎゃくてん]
「はあっ!? 表敬訪問っ!?」
 翌朝、村長宅に呼び出されたサイファは、素っ頓狂な声を上げた。
「そうだ。――まぁ、お前の里帰りの報告が主ではあるが」
 これから正装してもらう、とユウザが無表情に言い放つ。
 しかし、その後ろでは、何処か投げやりな感じのパティと、いつにも増して不機嫌そうなグラハムが、不穏な空気を撒き散らしていて……。
「ちょっと、来い!」
 サイファはユウザの外衣[マント]を引っ掴むと、彼を廊下に連れ出した。
「今日はルファーリ見物するはずだったんだよな? それが、何でこんな事になってるんだ?」
 壁に押しつけるようにして問い詰める。町役場も観光名所の一つだ、なんて言わせないぞ! と。
「お前には、すまないと思っている。だが、これしか方法が見つからなかったのだ」
 ユウザは小さく溜息をこぼし、眉を曇らせた。
「私がどんな恰好をしようとも、皇家の神気とやらの所為で、忍び歩きにならないと言われた」
「それは……確かに」
 頭の中に、村人たちが出迎えてくれた時の情景が浮かんだ。
 あの夜、馬車から降り立ったユウザに、その場にいた誰もが目を奪われた。
 全身から立ち昇る、高雅な空気。視線を逸らす事すら適わない、鮮烈な存在感――。
 身分を明かさずとも、彼が皇家の出であることは、一目瞭然だった。
「隠れられないなら、初めから表に出るまで――か。でもさ、それって、もっと危ないんじゃないのか?」
 サイファは口をへの字にした。皇太孫がふらふら出歩いているのが公になったら、それこそ大事[おおごと]だろう?
「その通りだ。だから、お前の存在が必要なのだ」
 彼女の疑問に、ユウザが悪戯な笑顔になる。
「お前が美しく装えば、衆目は全てお前に集まる。従者になど、目もくれずにな」
「従者って、まさか……」
 サイファは、どう見ても支配者然としているユウザを、まじまじと見つめた。視線を受けた彼が、名案であろう? と、気品漂う微笑を浮かべる。
「ダメ、ダメ、ダメ! 絶っ対、無理だ!」
 サイファはぶんぶんと頭を振った。
「なぜ?」
「だって――!」
 言いかけて、もごもごと口ごもる。
 彼が自分に[かしず]く姿など、とてもじゃないが想像できない――というか、対応に困るではないか。誇り高きスゥオル、ユウザ・イレイズを従えて歩くなんて……。
「心配するな。黙って立っていれば、お前は充分、淑女に見える」
 躊躇[ためら]うサイファに、ユウザがとんちんかんな慰めを寄越す。全く、[なん]にも解っていない。
「あんたは、それでいいのかよ? いくらその場凌ぎだって、奴隷のあたしにつき従うんだぞ?」
 深い溜息を漏らすと、彼はくすりと笑った。
「何を言う。いつだったか、お前自身が申したのではないか。私も、お前と同じ I 種だと。陛下の前では、同等なのだろう?」
 あれは確か、ユウザがサイファの教育係を命じられた夜だった。
 自分を捜しに来た彼を皇帝の犬′トばわりして、怒らせた。だから、良く覚えている。
「陛下の前では、だろ? 今はあたしと二人きり。同等じゃない」
 あの日の彼の台詞を、サイファはそっくり返した。
「要らぬ事ばかり、覚えておるな」
 ユウザは苦笑いになると、では、これも覚えているか? と切り返した。
「私が望めば、お前は私の奴隷にもなり得る。ならば、たった今、望もうではないか。――イグラット皇家三代、ユウザ・イレイズの名において命ずる。サイファ・テイラントよ、これより、お前は私の I 種だ。だから、私を従者として連れ歩け」
 それが命令だ、と無茶苦茶を言う。
「馬鹿を言うな! そんなふざけた命令があるか!」
 サイファが眉をつり上げると、ユウザは不貞腐れたように唇を結んだ。
「仕方があるまい? 頼んでも聞き入れてくれぬのだから」
 私だって、こんなまどろっこしい事などしたくない、と言って、腕を組む。最早、何を言っても無駄らしい。
「……ああ、もう、いいよ! 判ったよ! 元はといえば、あたしがワガママを通せって言ったんだし」
 奴隷でも主人でも、何にでもなってやる! と、サイファは、自棄[やけ]っぱちに頷いた。
「では、早々に着替えて参れ」
 ユウザは勝者の笑みを浮かべると、ミリアの待つ二階へと彼女を追いやった。
「――さぁ、出来たわ」
 裾へと流れる[ひだ]を整え、ミリアはすっくと立ち上がった。姿見の前に立たせたサイファを四方から眺め、しみじみ呟く。
「念のため、礼服[ドレス]も数着用意してきたけど、まさか、本当に使うことになるとは思ってもみなかったわ」
「あたしだって」
 鏡に映し出された自分の姿を、サイファはしげしげと見た。
 襟ぐりの大きく開いた、薔薇色の天鵞絨[てんがじゅう]礼装[ドレス]。その胸元には銀糸で縫い取られた美麗な蔦模様が広がり、複雑に編み上げられた銀色の髪には、所々に緑玉の[かんざし]が差しこまれている。
 高が片田舎の町長に会うだけなのに、その装いは、陛下に謁見する並みの煌びやかさだ。
 そこへ、扉が叩かれる。
「仕度は済んだか?」
 様子を見に来たのは、これまたきちんとした身なりに着替えた、パティ・パジェットだった。
 明るい茶色の髪を綺麗に撫でつけ、葡萄茶[えびちゃ]色の外衣[ローブ]を纏っている。その姿はいつもよりずっと大人びて、何だか賢そうに見えた。
「まぁ、パティ様。良くお似合いですこと」
 ミリアが珍しく褒めた……と思ったら、サラリとつけ足した。正に馬子≠ノも衣装ですわね、と。
「何をっ!?」
 むっと睨み合う二人の横で、サイファは思いきり吹き出した。
「あはは……うまいこと言うなぁ」
「おい、銀の娘! お前が笑うな!」
 人の事を言えた義理じゃないだろう、とパティはぷぅっと頬を膨らませた。そうやって拗ねる顔は、やはりまだ十二歳の少年だ。
「あぁ、悪い、悪い。ボロが出ないように、ちゃんとお澄ましするよ」
 サイファはころころ笑うと、つんと上を向いてみせた。すると、ミリアもパティも、はっと息を詰めた。
「……どうかした?」
 彼らの反応がおかしい事に気づいて、眉を寄せると、二人はどちらからともなく顔を見合わせた。そして、同時に首を振る。
「何でもないわ!」
「行こう! ユウザ様がお待ちだ」
 どことなくギクシャクしながら、そそくさとサイファを促す。
(何なんだ?)
 釈然としないものを感じつつ、サイファは長い裾をむんずと掴み、軽やかに階段を下りた。そして、途中まで来たところで、目を丸くする。
「おっ! お姫様のお出ましだ!」
「まぁまぁ! 何て、素敵なんでしょう!」
 何処から聞きつけてきたのか、玄関先には、物見高い村人たちが大勢詰めかけていた。その先頭には、村長とトーギが立っている。
「父さん! こんなとこで、何してるんだよ?」
 サイファが顔をしかめると、トーギはにこにこと相好を崩した。
「決まっているじゃないか。お前の晴れ姿を見に来たんだよ」
「そうとも。ディールのツェラケディアが、村を代表してルファーリを訪問するんだ」
 こんな晴れがましい事が他にあるかね、とヤトンが相槌を打つ。どうやら、村長自ら、村民を呼び寄せたらしい。
「わざわざ、いいのに……」
 苦笑しながら人垣を見渡すと、視界の端に長身の男が飛びこんできた。額に麹塵[きくじん]色の長い布を巻き、人混みを縫うようにして近づいて来る。その身ごなしは颯爽として、且つ優美だった。
(誰だろう?)
 男の姿から目を離せずにいると、彼は俯きかげんに進み出てきた。
「そろそろ、参りましょう。車の用意が整いましたゆえ――」
 そう言って、彼女の足元に膝をつく。その声を耳にした途端、サイファは仰け反りそうになった。
 墨色の飾り気の無い上着を羽織り、額の布と同色の帯が巻かれた腰には、細身の長剣が下げられている。大粒の緑玉が嵌めこまれた、雅な[けん]が。
(何やってんだよ、この男は……)
 思わずパティとミリアをふり返ると、案の定、情けない顔をした二人が、げんなりと首を振った。
「……じゃあ、行ってくるよ」
 サイファはぎこちなく微笑むと、同じく正装したパティに手を引かれ、表に出た。その後ろから、ミリアと御者に扮したユウザが続く。
 馬車の前には、ルドを抱えて、はしゃぐラヴィと、旅支度をしたテラが居心地悪そうに立っていた。こんな大掛かりになるとは、きっとテラも思っていなかったのだろう。その傍らでは、厳めしい顔つきをしたグラハムが、伴走用の天馬に跨っている。
「お待たせ」
 サイファが微苦笑を浮かべると、二人はぽかんとした顔になった。
「こいつは驚いた……」
「すごぉい!」
 テラは、ほぉー、と口を開け、ラヴィは大きな目をいっぱいに見開いた。一呼吸置いて、綺麗だ、魂げた、と繰り返す。
[]めてくれよ、二人とも」
 照れ臭くなって、サイファはつっけんどんに返した。自分を見つめるテラの真っ直ぐな瞳が、何とも言えず、くすぐったい。
「いやいや。本当に見違えたぞ」
 テラは大真面目に頷き、ラヴィが嬉しそうにサイファを見上げる。
「きらきらして、お嫁さんみたいだねぇ」
「花嫁かぁ……。あれ? そういや、花婿の姿が見えないが?」
 ユウザ殿は何処に行った? と言いながら、テラは辺りを見回した。そして、サイファの真後ろにいた彼を見つけ、うおっ! と叫んだ。
「何て恰好してるんだ、ユウ……んぐぅ!」
 大声で喚きそうになったテラの口を、当のユウザが素早く塞ぐ。もちろん、手の平で。
「静かにしろ」
 ユウザは小声で囁くと、馬車の扉を[うやうや]しく開けた。
「――さぁ、どうぞ」
 サイファに向かって手を伸ばし、軽く片目を瞑ってみせる。その表情は、実に生き生きとして、明らかに、この役を楽しんでいた。
(仕様が無いなぁ……)
 こんな子供っぽい彼を見るのは初めてで、サイファは何とも微笑ましい気持ちになった。
 いつも毅然として、皆に気を配ってばかりいるユウザが、屈託なく笑っている。それだけでも、[おとり]冥利に尽きるではないか。
「ありがとう」
 にっこり笑って、その手を取ると、出来る限り優雅に、馬車に乗りこんだ。
(あたしは、皇帝陛下の I 種。あたしが皆を惹きつけられれば、あいつの身に危険が及ぶことも無い――)
 サイファの胸に、使命感にも似た気持ちが、ふつふつと湧き上がってきた。今こそ、彼への恩義を返す時だ。
 一生、思い出に残るような、楽しい一日にしてあげよう。
 そんなサイファの決意など露知らず、ユウザは張りのある美声で出立を宣言した。
 その声に、人々が、おや? と首を傾げた時には、天馬は既に空高く舞い上がった後だった――。
- 2003.06.25 -
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