Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 25 話  落花流水[らっかりゅうすい]
 一行は、役場の厩舎[きゅうしゃ]に馬車を預けた後、テラの案内で繁華街を闊歩[かっぽ]していた。
 ルファーリ名物の焼き栗を片手に、テラ行きつけの雑貨屋を冷やかし、特産の水華石を使った象嵌[ぞうがん]細工の工場[こうば]を訪ねて……。
 そして今、サイファの希望で猟具屋に向かっているところだった。特に欲しい物がある訳でもないが、道具を見るだけでも慰みになると思ったのだ。
 しかし、心踊るはずのこの状況を、サイファは素直に楽しめないでいた。右隣を歩くユウザと、後ろからついてくる町民たちを交互に見遣りながら、心中でぼやく。
 どんなに頑張っても限界はある、と。
 サイファがちらりと振り返ると、町民たちが一斉に手を振って寄越した。その声援にやんわり愛想笑いを返すと、人々は益々熱狂した。
 はっきり言って、かなり怖い。興奮した彼らが、いつ雪崩れこんでくるかと、気が気でなかった。
 それでも、大した混乱が起きないのは、グラハムが剣を手にして睨みを利かせているのと、急遽[きゅうきょ]、交通整理に駆り出された役人たちが、必死になって群集を押さえてくれているからだった。
 それがなければ、今ごろ……。
「……おい」
 堪り兼ねて、サイファはユウザの顔の横で揺れている布を、グイッと引っ張った。
「何をする」
 鉢巻がずれて、半分目隠しされるような恰好になったユウザが、秀眉を寄せて抗議する。
 だが、それも一瞬の事で、思わず大きな溜息がこぼれた。
「あんた、本っ当に、あたしの影に隠れる気あるのか?」
「当たり前だ」
 今さら何を申すか、と首を傾げるユウザに、思いっきり突っ込む。
「嘘[]け! だったら、何なんだ? その非協力的な笑顔は!」
 鉢巻を直しながら、それでも巧笑を絶やさないユウザをビシッと指差すと、彼はきょとんとした。
「笑顔? 私がか?」
「そうだよ! さっきっから、ずーっとニコニコニコニコ笑いっぱなしでさ! あたしが、いくらお上品に振る舞ったって、あんたが一緒に笑ってたら、意味ないだろう!」
 早口でまくし立てると、ユウザは、気をつけよう、と頷いてから、懲りずににこりと微笑んだ。
(ダメだ、こりゃ……)
 その邪気の無い笑顔に、うっかり見惚れそうになりながら、サイファはやれやれと首を振った。だが――。
(まあ、笑ってるって事は、楽しんでる証拠だしな)
 彼の穏やかな横顔に、満足してもいた。時折、自分に向けられる優しい眼差しも、何だか心地が好かったし。
 あいつが喜んでるんだから良しとするか、と気を取り直し、サイファは背筋を伸ばして、口角を持ち上げた。
 明日の朝、顔が笑顔で固まっていたら嫌だなぁ、と密かに憂慮しながら。
「ああっ!」
 猟具屋の前まで来ると、サイファは淑女を演じていた事も忘れて、飾り窓にぺったりと貼りついた。陳列されていた一本の矢に、釘づけになる。
 鋭く尖った鉄製の[やじり]に、飴色に磨かれた矢柄[やがら]。矢羽は見事な黒つ[]で、その矢筈[やはず]は風狼石の継筈[つぎはず]である。
「テラ! テラ! テラ!」
 大声で連呼すると、何騒いでるんだよ? と、テラが怪訝[けげん]な顔で近づいてきた。しかし、その矢を目にした途端、隣にストンとしゃがみこむ。
「すっげぇ! 風の矢じゃねぇか!」
「だろ? だろ!?」
 大興奮の狩人組の横で、狩りなどしたこともないミリアが小首を傾げた。
「綺麗な矢だけど、普通の矢と何処か違うの?」
「全然!」
 サイファとテラは、ぶんぶんと激しく首を振ると、ミリアを横に屈ませ、得々と語った。
「お嬢さん、矢の上端には、矢筈っていう、弦を受ける部分があるんだけど、そこに緑色の石が嵌めてあるの、判るかい?」
 テラが硝子をコツコツ叩いて指し示すと、ミリアは、ええ、と頷いた。
「あれは、風狼石かしら?」
「そう。だから、通称風の矢=v
「あたし達も、他人[ひと]が使ってるところしか見たことないんだけどさ、魔石から吹き出す妙風で、飛距離も威力も、数十倍になるんだよ」
「それじゃあ、遠くからでも獲物が狙えるってこと?」
「その通り。腕さえ良ければ、どんな獲物も確実に仕留められる」
「まあ、魔石の効力は一度切りだから、よっぽどの大物相手じゃないと、もったい無くて使えないだろうけどね」
 そこへ、表の騒々しさに気づいた店の女主人が、様子を見に出て来た。煌びやかな一行と、彼らを遠巻きに囲む民衆に、ぎょっとした顔になる。
「騒がせて申し訳ない」
 使者役のパティがすかさず陳謝すると、店主はたちまち顔を綻ばせた。
「それは、ようこそお越し下さいました。宜しければ、どうぞ御手に取ってご覧下さいまし」
 一行を店の内へと招き入れ、主人は陳列窓から風の矢を取り出した。
「本当に、触っていいの?」
 ドキドキしながら尋ねると、主人は、もちろんですよ、と微笑んだ。
「ありがとう」
 恐る恐る受け取ると、サイファは、その美しい矢をしげしげと眺め、感嘆の呻き声を漏らした。でも、叶うなら……。
「一度でいいから、撃ってみたいなぁ」
 そう独り[]つと、テラが、馬鹿を言え、と口を挟んだ。
「それ一本、いくらすると思ってんだ? 狩人の半年分の稼ぎだぞ? [さわ]れただけでも、ありがたいと思え」
「そんなの、判ってるよ!」
 ちょっと言ってみただけだろ、とサイファが唇を突き出していると、いきなり、その手から矢を奪われた。
「私が買おう」
 何の躊躇[ためら]いも無く、ユウザが主人に矢を渡す。それどころか、驚く周囲の者たちを尻目に、これと同じ物をもう一本頼む、と[のたま]った。
「ちょちょちょ、ちょっと待った! あたしは、別に、そんなつもりで言ったんじゃない!」
 こんな高価な物、買ってもらう訳にはいかない、とサイファが慌てて止めに入ると、それを予見していたのか、彼はにっと笑った。
「聞こえ無かったのか? 私は買う≠ニ申したのだ。買ってやる≠ニ言った覚えは無い」
 そして、きちんと包装された矢を受け取ると、それをサイファに差し出した。
「これはお前に預けておく」
 使いたければ、好きにして構わぬ、と。
「……気持ちは有難いんだけどさ、皆が一生懸命納めた税金で、こんな贅沢させてもらう訳にはいかないよ」
 サイファは真っ直ぐにユウザを見据えた。
 今でこそ、皇帝に飼われる身分だが、かつては、一端[いっぱし]の納税者だったのだ。お金の大切さも、稼ぐことの苦労も良く解っている。だからこそ、受け取れない。
 すると、ユウザはふわりと笑んだ。
「見くびってもらっては困る。つい先日まで、私は武人として国の為に働いていたのだぞ? 矢の一本や二本買える程度の蓄えはある」
 自分の資産を自分の為に使って、何処が悪い? と胸を張られ、サイファは返答に窮した。こんな風に言われては、断わり[よう]が無いではないか。
「……分かった。預かっておく」
 サイファは大人しく紙包みを受け取ると、しっかりと胸に抱いた。
 こいつには敵わない、と思った。
 ユウザは、サイファの弱点を、実に見事に突いてくれた。
 彼女の意固地なまでの実直さは、長所であると同時に短所でもある。筋の通らない事は絶対に許せないが、逆に、道理を外れていなければ、自分の意に添わない事でも[あらが]えないのだ。
 完全にサイファの負けである。だけど……。
「支払いはこれで頼む」
 ユウザは、主人に向き直ると、本当にユウザ・イレイズ≠フ名で小切手を切った。そして、パティを呼んで皇家の印を[]させる。
「まあ!」
 その捺印とユウザの顔を、まじまじと見比べた女主人は、はっと息を呑んだ。
「もしや、あなた様は――」
「よしなに」
 言いかけた言葉を、ユウザが微笑で封じる。その顔を見て何もかも察した店主は、ありがとうございました、と深々とお辞儀した。
「――では、そろそろ参ろうか」
 ふり向いたユウザの頬に、サイファはありったけの感謝を込めて口づけた。
 こんなにも清々しい敗北感を味わうのは、生まれて初めてだった。
「何の真似だ?」
 ユウザが優しく瞳を細める。解っているくせに、私に惚れたか? などと、[]れ言を吐く。
「まさか。何となく、接吻[キス]してみたくなっただけだよ」
 こちらも澄まして答えると、横から、冷やかすようなテラの口笛が響いた。
 猟具屋を出て、次は何処へ行こうか? と、一寸、立ち止まった時。
「幸福な娘! 俺に祝福を!」
 突然、一人の若い男が役人を押し退けて走り寄ってきた。
 とっさに、ユウザとテラがサイファの前に立ち塞がったが、それを切っ掛けに、今まで大人しくしていた者たちまでもが、僕にも! 私にも! と、一斉に詰めかけてきた。
「こら! []さないか!」
「下がれ! 下がれ!」
 役人たちが制止するも、最早、聞く耳を持たない。
 一瞬にして、狂乱の坩堝[るつぼ]と化した商店街。
「店の中へ引き返せ!」
 ユウザが声を張り上げた時、周りを囲まれた一行は、人の波に揉まれて、二手に別れてしまった。 
「ユウザ様!」
「ミリア!」
 その距離はどんどん広がり、ユウザとミリアだけが、まるで、流水に落ちた花弁のように、あっという間に押し流されていく。
(ああ、どうしよう?)
 伸びてくる無数の手に揉みくちゃにされながら、サイファは全身の血が一気に冷えるのを感じた。
 とうとう、恐れていた事態が起きてしまった。
「サイファ! こっちへ!」
 テラに腕を引かれ、猟具店の中に何とか逃げこんだサイファは、その場にくずおれた。体が小刻みに震えて、止まらない。
 髪に差していた[かんざし]は全て引き抜かれ、礼服[ドレス]も所々破かれていた。人々は幸福な娘≠フ所持品にも、幸運が宿ると信じているのだ。
[はぐ]れたのは、ユウザ殿とミリア嬢だけか?」
 テラが肩で息をしながら問うた。
「いや、グラハム様もいない」
 辺りを見回しながら、パティが青ざめる。
「彼のことだ、ユウザ殿の後を追ったのかもしれない。とにかく、今はサイファを落ち着かせないと――」
 自分を気遣うテラの声が、耳を素通りしていく。
 サイファは風の矢を抱き締めたまま、一心に祈っていた。
(神様、どうか、二人をお守り下さい……)
 固く瞑った瞼。広がる闇。
 店の戸を力任せに叩く音だけが、いつまでも響いていた。
- 2003.07.18 -
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