Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 26 話  [あらし][ごと]
「――ミリア、怪我は無いか?」
 離れ離れにならないよう、しっかりと掴んでいたミリアの腕を、ユウザはようやく放した。心持ちげっそりしたミリアが、ふぁい、と息も絶え絶えに頷く。
 人混みから脱出した……というより、流れに逆らえず、完全に繁華街から押し出されてしまった二人であった。
「誠、群集の力とは侮れぬものだな」
 乱れた髪を掻き揚げながら、ユウザはわずかに眉根を寄せた。銀の娘たちは無事であろうか? と、元来た道をふり返る。
 通りは相変わらずの混雑で、とても、引き返せるような状況では無かった。足を踏んだ、踏まないで揉める少年たちや、迷子になった子供を捜す親など、二次的な混乱まで起きている。
(厄介な事になった)
 ユウザは自分の見通しの甘さに[ほぞ]を噛んだ。
 サイファに人を惹きつける魅力がある事は承知していたつもりだったが、よもや、これ程とは思わなかった。
 庶民にとってのサイファ・テイラント≠ヘ、成功者の象徴であり、民間信仰のようなものだったのだ。高嶺の花である皇家とは違って、憧憬の中にも、親しみ易さがある。もっとも、今回の騒ぎは、その親近感が仇となったのだが。
「これから、どう致しましょう?」
 ミリアが心細そうに見上げてくる。
「そうだな……」
 呟いて、ユウザは[しば]し思案した。
 群集に取り囲まれたサイファのことは、大いに気懸かりだったが、テラとグラハムがついていることだし、そう滅多な事は起きないだろう。それに、いくら心配したところで、この道を戻るのは不可能というものだ。
「仕方が無いから、我々だけで、先に役場に戻るとしよう」
 収拾がつけば皆も来るはずだから、と安心させるように笑いかけると、ミリアは、はい、と頷き、左腕にしがみついてきた。まるで、命綱にでも[すが]るように。
(確か、役場はあちらだったな)
 ここまでの道のりと現在地の位置関係を頭に描きながら、ユウザはミリアと腕を組んだまま、見知らぬ道を歩き出した。
 人気[ひとけ]の無い裏道を、二人、寄り添いながら歩いていると、ミリアがふいに笑った。道の両側には倉庫らしき建物が並ぶばかりで、興をさかすような物は何も無かったのだが。
「何が可笑しいのだ?」
 隣を見下ろすと、彼女は含み笑いを浮かべたまま、顔を上げた。
「ユウザ様と二人っきりで、こんな風に街を歩けるなんて、夢のようだと思いまして」
 そう言って、一層ぴったり身を寄せてくる。禍を転じて福となすですわ、とさも嬉しそうに。
「呆れた事を言う」
 ユウザがくすりと笑うと、ミリアはうっとりと双眸を細めた。お気に障ったらお許し下さいませ、と前置きしてから、言葉を繋ぐ。
「近頃のユウザ様は、何だかとっても[つや]めいておいでで、こうして微笑みかけて頂くだけで、胸が騒いでしまいますわ」
 ほんのりと頬を染めながらの告白に、ユウザは返答に詰まった。
 自分の容姿について、神々しいとか、凛々しいと評される事は間々あるが、艶っぽいなどと言われたのは初めてで、反応に困ってしまう。しかも、暗に盛りがついている≠ニ指摘されたような気がして、あまり嬉しくない。
 抑圧している恋情が、知らぬ間に[おもて]に出てしまっているのだろうか? だとしたら忌々[ゆゆ]しき事態だ、と顔をしかめた時、辺りに甲高い指笛が響いた。
 長短入り混じった合図を送るようなその調子に、何事か? と、首を傾げる間もなく、脇道からばらばらと人が躍り出て来る。
 若い男が全部で五人。だらしなく着崩した服とバサバサの髪で、腰には、皆一様に長剣を帯びている。
「何用だ?」
 怯えるミリアを背に庇いながら、低く尋ねると、男たちは無言で剣を抜いた。後ろで、ミリアが絶叫する。
「ただの物取り……には見えぬな」
 ユウザは緑眼を鋭く細めた。
 男たちの風体[ふうてい]は、いかにも町のならず者≠ニいった感じだったが、剣を構える姿に隙は無かった。明らかに、剣術指南を受けた者たちである。
「私を誰と心得ておる? サイファ・テイラントの従者か? それとも――」
 神の一族と知っての狼藉か?
 身内から溢れる殺気を隠すことなく問うと、男たちは気押されたように一歩後退した。しかし、その顔に大きな動揺は見られなかった。
「なるほど。あの騒ぎは、貴様らの仕業であったか」
 男たちを見据えていたユウザは、その内の一人に目を留めた。
 その男は、混乱の発端――サイファに祝福を求めて走り寄ってきた例の若者だった。民衆を煽り、騒擾[そうじょう]へと導いた。
「私一人のために、大掛かりな事だな」
 皮肉に呟くと、ユウザは剣を引き抜き、正眼に構えた。
「死後の安寧を望まぬのなら、かかってくるが良い」
 神殺しは高くつくぞ? と、薄っすら笑むと、男たちの体がにわかに震え出した。
 なまじ武芸を[たしな]むだけに、格の違いを悟ったとみえる。じりじりと間合いを計りながらも、一向に手を出してこない。否、出せないのだ。
(剣を交えるまでもないか――?)
 男たちの様子を冷静に見極めていると、後方から、馬車の近づく音がした。すると、再び、指笛が響く。
 それを耳にするや、男たちは慌てて身を翻した。
 ユウザは暫く身構えていたが、男たちの足音が完全に遠ざかったところで、ようやく剣を収めた。
「ユウザ様ぁ……」
 半べそになったミリアが、その場にへたりこんだ。極度の恐怖と、そこからの解放感で、すっかり腰が抜けてしまっている。
「大丈夫か?」
 ユウザが屈み込むと、ミリアはぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「あの者たちは、何者だったのでしょう?」
 ユウザ様のお命を狙うなんて、何と不届きな! と、憎々しげに息巻く。
「さあ? 皇族の暗殺事件など、そう珍しい事でも無いからな」
 ユウザは軽く肩をすくめた。
 大方、自分の行啓を聞きつけた邪な縁者が、警護の手薄なこの機に乗じて、刺客を送りこんできたのだろう。
(全く、グラハムの呆れ顔が目に浮かぶようだな)
 想像して、思わず苦笑した。いっそ、黙っていた方が得策だろうと思った。
 責任感の強い彼のことだから、襲撃の事実を知れば、今すぐ帝都に戻る、と言い出しかねない。サイファの滞在期限が、明日いっぱいでもだ。
 もし、そんな事になったら……。
「良いか、ミリア? この事は、絶対、誰にも申すな?」
 私は無事だったのだから、と口止めすると、ミリアは結い上げたお団子が揺れるほど、激しく[かぶり]を振った。
「ユウザ様は寛大すぎます! あんな腐れ外道、グラハム様にご報告して、是非とも八つ裂きにして頂かなくてはっ!」
 くわっと目を見開いたその顔は、限りなく本気だ。
「そう興奮いたすな」
 ユウザは溜息を[]くと、正直に言おう、と両手を上げた。
「この件で、滞在期間が短くなってみろ? そうなれば、私が銀の娘に八つ裂きにされる」
 そう言って、手刀で首を切る振りをすると、ミリアは、まっ! と、小さく笑った。
「そういう訳だ。良いな?」
 片目を瞑って念を押すと、ミリアはぱっと顔を赤くして、こくんと頷いた。どうやら、またしても艶めいてしまったらしい。
 そんな自分を苦々しく思いながら、ユウザは動けない彼女を横抱きにして立ち上がった。ミリアが、きゃっ、と叫んで首にしがみついてくる。
 そこへ、どう! という掛け声と共に、馬車が停止した。
 屋根は無いが、四頭立ての中々に上等な車で、後部座席には中年の男が乗っている。
「お兄さん、大丈夫かい?」
 絡まれていたところを見ていたようで、御者の若者が心配そうに声をかけてきた。抱き上げられているミリアに目をやるなり、怪我でもしたのかね? と、血相を変える。
「いや、大事ない。ちょっと腰を抜かしただけだ」
 お気遣いに感謝する、と会釈して、その場を立ち去ろうとすると、後ろの男に呼び止められた。
 上品な口髭を蓄えた中肉中背の紳士で、繻子[しゅす]織の黄櫨染[こうろぜん]の上着に、水華石のついた飾り帯を締めている。一目で街の有力者と判る装いだ。
「もしかして、あなた方は幸福な娘≠フ供の方ではございませんか?」
 先刻、役場でお見かけしたように思うのですが? と、問われ、ユウザは心中で舌打ちした。
「……如何[いか]にも」
 あまり関わり合っては面倒だと思いつつ、頷くと、紳士は、やはり! と、相好を崩した。わざわざ車から降りてきて、ユウザと向き合う。
[わたくし]は、この町で魔石問屋を営んでおります、ハナイ・ヴァンテーリと申します」
 深く一礼した紳士は、親しげな笑みを浮かべて切り出した。
「実は、当家の奴隷に幸福な娘≠フ幼なじみがおりましてね。テラ・ムスカルと申す者ですが、ご存じありませんか?」
「え? では、貴殿がテラの……?」
 ユウザが目を[みは]ると、ハナイは、主人です! と、顔を輝かせた。
「いえね、ちょうど今、テラを迎えに行くところだったんですよ。彼を通じて、手前共の屋敷に幸福な娘≠お招き出来ないものかと思いまして。けれども、その途中で、こうしてあなた方と巡り合えたのですから、これはもう、ご縁があったとしか言い[よう]がないでしょう!」
 恐ろしく、きっぱり、はっきり、言い切って、ハナイは、さあさあ、車にお乗り下さい、と強引に二人を馬車へ導いた。
 さすがは商家を取り仕切る主人。押しの強さが半端じゃない。
「気持ちはあり難いが……」
 当惑するユウザを見事な手際で馬車に押しこみ、ハナイはにこりと笑んだ。
「どうか、ご遠慮なさらずに。今宵は当方に御泊まり下さいませ」
 ほとんど拉致するような勢いで、ユウザたちを乗せた馬車は裏道を走り抜けた……。
- 2003.07.25 -
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