Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 27 話  皇太孫[こうたいそん]拉致疑惑[らちぎわく]
 人々の興奮が治まりかけた頃、猟具屋に籠城していたサイファたちは、町長が差し向けてくれた箱馬車で、ようやく役場へと引き返した。
 その車中――。
「ええっ!? 誰も!?」
 パティが声を裏返した。迎えに来てくれた御者に、[はぐ]れてしまった三人の消息を尋ねたところ、まだ一人も戻っていない、という答えが返ってきた。
 一行が離れ離れになってから、既に小一時間は経っただろうか? 商店街から役場までは、歩いても十五分たらずの道のりである。
 それなのに、未だに姿を現さないという事は……?
(まさか――)
 サイファは小さく息を呑んだ。考えたくもないのに、悪い想像ばかりが頭を[]ぎる。
 ぱっと見、愛くるしいミリアが、街のごろつき共に絡まれていやしないか、とか、主を追っていたはずのグラハムが、道に迷って難儀してるんじゃないか、とか。
 そして、幸福な娘≠ニいう光源を失った民の目が、新たな光――ユウザ・イレイズに集まっているのではないか、とか――。
(せめて、グラハムと合流できてればいいんだけど……)
 そんなサイファの憂いを代弁するように、隣のパティがか細い声を出した。
「ユウザ様の御身に何かあったんじゃ……」
 呟いた彼の目には、涙が滲んでいた。普段、偉そうにしていても、しょせん子供なのだ。どうしよう、どうしよう、と繰り返しながら、ぐずぐずと洟を啜る。
「大丈夫だよ、パティ」
 サイファは左腕を伸ばして、彼の小さな頭を自分の肩に[もた]せ掛けた。
「あいつは、泣く子も黙るスゥオルなんだぞ? それを力尽くでどうこうしようったって、土台無理な話だろ?」
 彼の薄茶色の髪をあやすように撫でながら、にこっと笑ってみせる。
「それに、案外、お忍び気分で、ふらふらしてるだけかもしれない」
 ユウザの性格からして、それは絶対あり得ないと確信しながら、サイファはパティを[なだ]める嘘を[]いた。
「そうかな?」
 目を赤くした少年が、おずおずと見上げてくる。
「どっちにしても、心配いらないよ。あたしが保証する」
 内心の憂慮を隠して微笑を返すと、パティは照れ臭そうに視線を落とした。お前、いい奴だな、とぽそりと呟く。
「何だよ、今ごろ気づいたのか?」
 サイファが茶化すと、パティは、えへへ、と笑って、素直に頷いた。ありがとう、を言いながら、寄りかかっていた体を起こす。どうやら、落ち着きを取り戻したようだ。
 その様子にサイファが目を細めた時、向かい側に掛けていたテラが、突然、止めてくれ! と、叫んだ。[いなな]きを上げて、馬車が急停止する。
 何を見つけたのかと、窓の外に目を遣ると、町民に混じって、幅広の剣を負った厳めしい背中が見えた。
「グラハム殿!」
 テラの呼び声に、男がふり返る。
 その顔は、ついさっきまで案じていた、グラハム・バリに相違なかったが、彼の隣に、望む者の姿は無かった。
(会えなかったんだ……)
 我知らず、サイファは深い溜息を漏らした。
 ユウザとミリアが[さら]われた――らしい。
 馬車に乗り込んできたグラハムから飛び出したのは、あまりにも衝撃的な言葉だった。
 中年の男が、二人と[おぼ]しき男女を馬車に押し込め、もの凄い速さで走り去っていくのを、見た人がいるという。
「一体、誰がそんな真似を?」
「分からぬ。あまり大っぴらに言えた事では無いが、皇族間での暗殺事件は、後を絶たぬのだ」
 要人の警護に当たることが多いというグラハムは、そういった内情にも詳しいようで、嘆かわしい事だ、とこぼした。
「そんなぁ……」
 一度は元気を取り戻したパティも、今度こそ、声を上げて泣き始めた。
(どうして、こんな事になっちゃったんだろう?)
 膝の上に置いた矢の包みを、サイファは酷く切ない気持ちで見つめた。これを買ってくれた時までは、隣で朗らかに笑っていたのに――。
 サイファは唇をきつく噛み締めた。
 あの混乱が起きたのは、もしかすると、自分の所為かもしれないと思った。
 ユウザを隠そうとして、愛想を振り撒き過ぎたのが悪かったのだ。日頃、他人に媚びたりしないから、加減というものが判らない。いや、そもそも、皇太孫を街に連れ出そうと思ったこと自体が、誤りだった?
 サイファは紙包みをぎゅっと抱きしめた。もし、これがユウザの形見になってしまったら……。
 そう思った瞬間、全身が粟立った。そんな事になったら、生きていけない。自分の所為で、また、大事な人を失うなんて――。
(母さん、お願い。あいつを守って……)
 深い鬱に身を浸していると、テラがふと首を傾げた。
「それにしても、ユウザ殿を連れ去るなんて、どんな手練[てだれ]だろう?」
 ミリア嬢でも人質に取られたかな? と、[いぶか]る彼に、グラハムが苦い声で答える。
「目撃者の話によると、口髭を生やした中年の男が一緒だったらしい。何でも、ヴァンテーリとかいう、魔石問屋の主と面相が似ていたという証言もあったのでな、これから向かおうと思っていた」
「え? ちょっと待ってくれよ」
 グラハムの言葉で、サイファは俯いていた顔をガバッと上げた。
「ヴァンテーリって……」
 自分の記憶が正しければ、去年、テラを召し抱えた男の名も、ヴァンテーリだったはずだ。しかも、同じ魔石問屋で……。
 テラの顔を見やると、案の定、その眉間にも深い皺が寄っていた。
「もしかして、その馬車って、乗用にしては無駄に豪華すぎる四頭立てで、屋根の無いやつだったんじゃ?」
「その通りだ!」
 心当たりがあるのか? と、表情を険しくするグラハムに、テラは苦笑いで頷いた。
「それ多分、俺の主人だ」
 役場には戻らず、そのままヴァンテーリ家を目指した一行は、石造りの豪邸に着くなり、取次ぎもなしに、ずかずかと屋敷に上がりこんだ。
 家人のテラを先頭に、尋常ではない空気を漂わせた彼らを、ヴァンテーリ家の執事が慌てて追いかけてくる。
「旦那さん!!」
 テラがガンガンと主人の書斎の扉を叩くと、その隣の応接室から、口髭を生やした中年の男――ハナイ・ヴァンテーリが顔を出した。やあ、テラ。遅かったじゃないか、と。
「貴様! 殿下はご無事なんだろうな?」
 背中の剣を素早く抜き放ったグラハムが、あっという間にハナイに詰め寄る。すると――。
[]せ」
 凛とした男の声が、彼の動きを制した。
 戸口から現れたのは、額に鉢巻をしたままのユウザだった。その後ろから、ミリア・アンバスも、ぴょこっと顔を覗かせる。
「ユウザ様!」
 泣きながら、パティがユウザに飛びついた。その頭を撫でながら、ユウザが穏やかに笑む。
「心配をかけたな」
 いつも通りの、落ち着き払った声音[こわね]
(ああ、良かった……)
 二人の無事を確かめた途端、サイファは体中の力が、ふうっと抜けるのを感じた。思わずよろけたところを、ユウザが素早く支えてくれる。
「大丈夫か?」
 サイファの顔を覗きこみながら、こんなに服を破かれて、さぞかし恐ろしい目に遭ったのだろう? と、眉目を曇らせる。
「あたしは平気」
 静かに[かぶり]を振ると、サイファはユウザの背に腕を回し、力を込めた。彼の胸にぴったりと頬を寄せると、トクントクンと規則正しい鼓動が伝わってきた。温かくて力強い、命の音。
「あんたが生きててくれて、本当に良かった……」
 安心したら、急に、瞼が重たくなった。
「サイファ!?」
 ユウザに名前を呼ばれた気がしたけれど、答える事も、目を開ける事も出来なかった。
 彼の腕に身を預けたまま、サイファは深い眠りに落ちていった……。
- 2003.08.10 -
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