Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 29 話  [かん]じるもの、[かんが]えること
 寝台の上で、サイファは膝を抱えて縮こまっていた。
 ユウザを怒らせてしまった事を、ちょっぴり――いや、かなり後悔していた。
(あいつは、あんなに優しかったのに……)
 ユウザが自分を大事に扱ってくれていたのは、良く解っていた。
 目が覚めた時、彼が傍に居てくれたのが嬉しかったし、気遣ってくれる声は柔らかで、心地好かった。
 それに、何だかドキドキしたのだ。重ねられた掌は、温かいというよりは熱いくらいで、真っ直ぐ向けられた眼差しも、いつもの何倍も綺麗で。
(……だけど)
 無意識の内に、サイファは拳を握り締めた。
 彼の好意を差し引いても、どうにもならないくらい、ムカついてしまったのだ。明らかに、何かを誤魔化そうとした態度も、ミリアに送った、あの意味深な流し目も!
 そして、極め付けは――。
「はい、お水」
「……ありがとう」
 手渡された水を一口飲んで、サイファは、ちらりとミリアを見た。
「なあ、さっきの話の続きは?」
「ああ、あれね」
 寝台の端にちょこんと腰掛けて、彼女は大仰に顔をしかめた。
「あの後、もんのすごぉい人波に揉まれて、すっかり腰が抜けちゃったのよ」
 酷い目に遭ったわ、とぼやくも、先ほどのような真実味を帯びた迫力は感じられない。
「そう……」
 大変だったね、と返しながら、サイファは胸の奥がチリチリするのを感じた。やっぱり、思った通りだった。
 ミリアは嘘を[]いている。恐らく、ユウザに口止めされた所為で。
(面白くない)
 骨杯[コップ]を両手で包むようにして、サイファはぶすっと唇を尖らせた。
 隠し事をされたのは勿論のこと、その秘密をミリアが共有しているのも不愉快だった。どうして、彼女なら良くて、自分では駄目なのだろう?
 その反発が、あの一言で抑え切れなくなったのだ。
『お前の事は、ミリアによくよく頼んでおくから』
 またしても、ミリア=B
 確かに、出会ってから今日まで、ユウザには迷惑をかけ通しだったし、ミリアに比べたら、付き合いだって、ずっと短い。当然、自分より、彼女に寄せる信頼の方が厚いに決まっている。それは仕方の無い事だ。
 むしろ、三ヵ月かけて失った信用を、一週間やそこらで取り戻そうと思う自分は、虫が良すぎるのだ。
 そう、これは仕方が無い。
 仕方が無いのだ。
 ……仕方無いのに、それでも募ってしまう、この苛々[いらいら]は何だろう? こんなにも我が侭で、手の施しようの無い感情。
(ああ、もう! 出てけ!)
 苛立ちを追い払うように大きく[かぶり]を振った時、軽い合図[ノック]が響いた。
「よう、サイファ。調子は、どうだ?」
 返事を待たずに、テラがするりと入って来る。
「何とも無いよ」
 振り乱した髪はそのままに、にっこり笑って迎えた――つもりだったのだが。
「嘘[]け」
 そんな不細工な顔して、とテラに両頬を抓られてしまった。何かあったのか? と。
 サイファは小さく首を振った。
何でも無い[ひゃんへもひゃい]
 頬っぺたを摘ままれたまま答えたら、ミリアにくすりと笑われた。
「いやぁね、美人が台無しじゃないの」
 言われた途端、顔が[ほて]るのを感じた。なぜか解からないけれど、自分がとんでもないヘマをしてしまったような気がした。
「あ、そうだ」
 ふいに、テラが両手を打った。
「悪いんだけど、こいつの着替えを取りに行ってもらえないかな? 奥さんが何着か見繕ってくれたんだけど、寸法が今一わからなくってね」
 ミリアに向かって、拝むように手を合わせる。
「ええ、いいわ」
 撫子色の短衣を翻して立ち上がると、ミリアは声を弾ませた。
「私も、さっきから気になってたのよ。いつまでも、破けた衣装のままじゃ、気の毒だものね」
 待ってて、とサイファに笑いかけ、パタパタと出て行く。
 その後姿を見て、少しの罪悪感と安堵感を、同時に抱いた。
「――さあ、話してみろ」
 扉が完全に閉まるなり、テラが詰問調で促した。俺様を[あざむ]こうなんざ三年早い、と微妙な数字を口にする。
 しかし、それにツッコム気力もなく、黙り込んでいると、テラは肩をすくめた。
「まだ寝足りないのか?」
「ううん」
「悪いもんでも食った?」
「ううん」
「じゃあ、あれだ」
「?」
「寝てる間に、ユウザ殿に手籠[てご]めにされ――」
「おいっ!」
 そんな事、ある訳ないだろ! と、サイファが青ざめると、テラは小さく鼻で笑った。
「冗談を一々真に受けるな」
 枕元に座り、さっさと吐いちまえよ、と彼女の額を指で弾く。
「……何か、変なんだ」
 思いの[ほか]痛かったおでこを撫でながら、サイファはぼそりと呟いた。心の中のもやもやを、出来得る限り忠実に言葉にする。
 ユウザの親切を仇で返してしまった事、隠し事をされたことが無性に腹立たしかった事、ミリアと比較して自分が何とも情けなく思える事……。
 サイファが全部打ち明けてしまうと、テラは魂まで抜けてしまうんじゃないかと思うくらい深い溜息を漏らした。
 そして――。
「バカ」
 あっさりと宣告されてしまった。
「そんなの、ただのヤキモチじゃねぇか」
 これぐらいガキでも判るぞ、と呆れられ、サイファは思わず唸った。
(焼きもち? あたしが?)
 正直、ピンとこなかった。
 そもそも、焼きもち≠ニは、自分の愛する者の愛情が、他に向くのを恨みに思うことである。と、いう事は、自分は……。
「なあ、テラ。あたし、あいつの事が好きなのかな?」
 真剣に尋ねると、再び、おでこを弾かれた。
「そんな事、俺に聞くんじゃねぇよ」
 テラの顔に、喜怒哀楽全てを凝縮したような、複雑な苦笑いが浮かぶ。
「自分の事は、自分が一番良く知ってるはずだろう?」
 そう言って、サイファの乱れた髪を直してくれた。いつになく、真面目な目をして。
「……そりゃあ、そうなんだけど」
 目が合った瞬間、心臓が小さく跳ねた。
 避けるように視線を落として、サイファは手持ち無沙汰に骨杯[コップ]を揺らした。底にわずかに残った水が、しゃぽちゃぽと音を立てる。
(あたしは、あいつが好きなんだろうか?)
 自分にとって、ユウザ・イレイズが、既にかけがえの無い人≠ナある事は間違いない。
 彼を失うことを想像したら、恐くて恐くて生きた心地がしなかったし、さっきだって、自分の目の届かない所に行ってしまうと思った途端、どうしようもなく不安になって……。
(でも――)
 そこまで考えて、サイファはテラの様子を上目遣いに窺った。
 もし、ユウザに感じたあの胸騒ぎが、世間一般にいう恋心≠ニいうものならば、今、テラに感じているこの胸の痛みは、何と呼べばいいのだろう? 見つめられるだけで、泣きたくなるような想いは?
 日頃、考え事をしないツケが回って来たのか、必死に頭を働かせても、明確な答えは出てくれない。
 役立たずな脳に業を煮やしてポコポコと頭を殴ってみたら、テラに腕を掴まれた。これ以上バカになったらどうする、との台詞に、本気で泣きそうになる。
(何も、そんなにハッキリ言わなくてもいいじゃないか)
 サイファが悲嘆に暮れていると。
「――まあ、自分の心と、もっと良く向き合ってみる事だな」
 一応、健闘を認めてくれたのか、テラがいつもの笑顔に戻った。お前の悪いところは、昔っから物事を考えなさ過ぎることだ、という訓示は忘れずに。
「うん」
 サイファは素直に頷いた。
 結局、自分の気持ちは判然としなかったけれど、自分がやるべき事は承知していた。
 ユウザが戻ってきたら、ちゃんと、ごめんなさい、を言おう。
- 2003.09.12 -
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