Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 35 話  天邪鬼[あまのじゃく][こい]
 ディールへ戻る道すがら、サイファはパティを抱えたまま、今日の過ごし方≠ノついて、あれこれ思いを巡らせていた。
 帝都を発ってから、早五日。今日は、村で過ごせる最後の日である。時間を有意義に使わなければ、絶対に後悔する。
(うーん、何をしよう?)
 サイファは自分のやりたかった事で、既にやり終えてしまった事≠指折り数えた。
(えーと、まず、狩りはしちゃっただろ?)
 父親の好物も作ったし、弟の弓も直してやった。偶然ではあるが、ユウザに村の夕焼けも見せてあげられたし……。消去法で考えながら、ふと気づく。
(そうだ、アレがまだだった!)
 サイファは窓の外を見遣った。
 下界に広がる緑の波間。その上を規則正しく横切る影がある。[つや]やかな光沢を帯びた、大きな、大きな、黒い翼。
 ラヴィと一緒に天馬の背に跨らせてもらいたい。これが残っていた。
(村に着いたら、早速、頼んでみよう)
 良案にほくほくしている内に、馬車は高度を下げ始めた。
「着陸する。用心いたせ」
 昨日と今日とで、すっかり、お馴染みとなったユウザの警告。
 万が一に備え、サイファはパティを抱く腕に力を込め、軽く踏ん張った。しかし、そんな気遣いは不要とばかり、車体が[なめ]らかに着地する。
 ユウザの馬車の扱いは、本職のパティに劣ることなく安全で、乗り心地も快適だった。
(ほんと、厭味なくらい、万能な奴だよな)
 文武両道に秀で、何をやらせても人並み以上にこなすユウザ。天は、彼にニ物どころか、三物も四物も、気前良く与え過ぎている。
(あいつの弱点って、何だろう?)
 大飯喰らいだから空腹には弱いかな? などと戯れに考えている[]に、馬車は村の石門を通過した。
「――待て、私がやる」
 パティの体を慎重に抱え直し、いざ降りよう、と腰を浮かしかけたサイファは、ユウザの一言で、再び、ふかふかの座席に納まった。
 いくら慣れているとはいえ、ラヴィとパティでは、さすがに体積も重量も違う。ここは大人しく、男の手に任せた方が無難だろう。
 ユウザはサイファの腕からパティを抱き取ると、軽がると持ち上げた。わずかに仰け反った少年の頭をそっと自分の肩に[もた]せかけ、スタスタと歩いて行く。
(結構、力持ちなんだな)
 細身でしなやかに映る、ユウザの後ろ姿。ちょっぴり意外に思いながら、サイファは小走りで彼を追い、そして、追い越した。村長宅の玄関に先回りし、扉を開けて待っていてあげる。
「すまない」
 たちまち、無表情だったユウザの顔に笑みが広がる。その自然な微笑を好ましく思いながら、どういたしまして、と笑顔で返した。
 こんな些細な事でも、少しはユウザの役に立っている。そう思えるだけで、サイファは嬉しかった。おまけに、滅多に見せることのない彼のうっかり笑顔≠引き出せたのも、何だか得した気分だ。
「サイファ、悪いが、こちらも開けてくれ」
「はいはい」
 二階の客室の戸も、急いで開けてあげる。さあ、どうぞ。
 ユウザは、パティを寝台に下ろすと、その額にかかる前髪を静かに払い除けてやっていた。
(いいなぁ、ああいうの……)
 その愛情深い仕草を見守りながら、サイファはしみじみ思った。
 もし、ユウザと結婚して、子供が生まれたら、彼はきっと、いい父親になるだろう。優しくて、頼り甲斐のある、子煩悩な――。
(うわ! 何考えてんだ、あたし!)
 ふと我に返り、あまりの恥ずかしさに身悶えた。
 あたしは、あいつが好きなんだろうか?
 答えを出せなかった、自身への問いかけ。しかし、こんな事を無意識に考えてしまう自分は、やはり彼のことを……。
「どうした?」
 戻ってきたユウザが、怪訝[けげん]に眉を寄せた。顔が赤いぞ?
「いや、そんな事ないよっ! それより、お願いがあるんだっ!」
 内心のギクギクを勢いでごまかし、サイファは強引に話題を変えた。
「ちょっとでいいから、ラヴィと一緒に、天馬に乗せてもらえないかな?」
 跨るだけでいいんだけど、と両手を合わせて頼みこむ。
「ああ、それは構わぬが……」
 朝食を取ってからでも良いか? と、真顔で問われ、サイファは思わず吹き出した。
 やっぱりね。ユウザの弱点、見つけたり。
 天馬という生き物は、その優美な見かけに似つかわしく、従順で、穏やかな気性である――と、昔、『ウェイズラー動物記』で読んだ記憶があるのだけれど。
「それは[]めておけ」
「何で?」
 村長宅の庭先。
 一列に並べられた七頭の天馬を、弟の手を引きながら、一頭一頭、熱心に値踏みしていたサイファは、眉根を寄せて抗議した。どれに乗ってもいいって言ったじゃないか。
 彼女が選んだ天馬は、[たてがみ]に、わずかに金色の毛が混じった、美しい牝馬[ひんば]だった。一目見た瞬間から、なぜか強く心を引かれた。
「では、前言を撤回する」
 サイファの苦情にユウザが溜息混じりに答える。
「その馬はスゥーラ≠ニいって、陛下の一番のお気に入りなのだが……」
 成体になってから捕らえられたという事もあり、それはそれは[ぎょ][がた]いのだという。およそ、乗馬[じょうめ]には向かない不従順な気質で、その背に跨った途端、振り落とされた人間は延べ百人を超えるとか。
「まあ、コツさえ掴んでしまえば何ということは無いが、一朝一夕で、どうにか出来る相手ではない」
 語り終えた彼が、ちらりとこちらを見る。まるで、どこぞの奴隷みたいにな。
「悪かったな、不従順な暴れ馬で!」
 ユウザのあんまりな言い[よう]に、しかし、全否定できない痛い事実にむかっ[ぱら]を立てつつ、サイファはスゥーラに向き直った。黒いつぶらな瞳が、こちらをじっと見返してくる。
(大人しそうに見えるんだけどなぁ?)
 諦め切れず、スゥーラの鼻面を撫でようと手を伸ばした――瞬間。
 カプッという擬音語が聞こえそうな勢いで、五指を噛まれた。それほど痛みは無かったけれど、もぎゅもぎゅと甘噛みされる感触は、決して歓迎できるものでは無い。
「うわあ! お姉ちゃんの指が食べられちゃった!!」
「こら、[]さぬか!」
 ラヴィが目をまん丸にして叫び、舌打ちしたユウザがスゥーラの口をこじ開ける。
「大丈夫か?」
「うん、平気……」
 サイファは唾液でベトベトになった指と、鼻息荒く首を振り上げたスゥーラを交互に見やった。
 今ので、好かれていないのは良くわかった。だけど、取りつく島がないほど嫌われてもいないような気がする。その証拠に、噛まれた指には歯型が残っていない。
 これなら、何とかなる筈だ。いや、むしろ巧くいく。
 恋心にも似た天邪鬼な闘志が、サイファを駆り立てた。
 不服従な自分に相応しい、不服従な天馬。きっと、心を通わせてみせる。
「やっぱり、こいつがいい!」
 熱い決意を胸に、ユウザをふり返ると、彼は大きく肩をすくめた。
 好きにすれば良い。
- 2004.07.11 -
NOVEL || HOME | BBS | MAIL