Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 58 話  [にえ][ささ]
 午後の陽射しを受け、白亜煌くフラウ城。
 一度、カレナ城へ戻るというクロエと連れ立って、アグディルの見舞いを終えた帰りである。待ち人が現れたのは、ユウザが居室の扉に手をかけた、ちょうどその時だった。
「ユウザ様!」
 右腕と頼むナザルが、足早に回廊の角を曲がってやって来る。皇太子の側近となる許しを得た後も、その腰に大ぶりの斧を引っ提げたままなのが、滑稽といえば滑稽だ。
「口を割らせるのに、その物騒な得物は役に立ったか?」
 身動きのとれない自分に代わってソルヴァイユ神殿を調査してきた彼へ、からかいの言葉を放りつつ、ユウザは室内へと[いざな]った。
「お戯れを」
 従兄の磊落な笑い声を背に聞きながら、淡紫の上着を脱ぐ。
「で? 何か、わかったか?」
 脱いだ服を衣桁にかけ、改めてナザルをふり返った。
「はい。やはり、見習いの者というのが曲者でした」
 [あるじ]に合わせて立ったままのナザルを、近くの長椅子に掛けるようにと身ぶりで促し、自分は机の前に腰を据える。
「姿を消したか?」
「いえ、それが……」
 少しばかり困り顔になったナザルが、語ることには――。
 見習いの男――といっても、昨年、成人したばかりの少年がソルヴァイユ神殿へと上がったのは、事件が起きた日の、わずか一週間前のことだった。
 それまで仕えていたタルシニア神殿から、主神殿の慢性的な人手不足を理由に、突如、異動を命じられたという。
 右も左もわからぬソルヴァイユ神殿で、逐一、古参の神官の指示を受けなければ何一つ満足に片付けられない状況。少年は与えられた仕事をこなすだけで精一杯だった。
 そして、事件当日の朝。
 いつものように、上官であるシラヌ・ドヌークに手取り足取り教わりながら、次々と運びこまれてくる供物をせっせと目録に記入していた時のことだ。
 品物を改めていたシラヌが、驚きの声を上げた。釣られて覗きこんだ手元には、彫りの美しい木箱に納められた、見事な風の矢が数十本。
 その一本一本を手にとって数えたところが、全部で三十あった。一財産と呼べるほどの金額がこの献上品につぎこまれているのは、見習いの少年の目にも明らかだった。
 これほど高価な物を惜しげもなく捧げてよこしたのは、一体どこの誰であろうか? 由緒ある皇家の一門からか、はたまた名のある商家からかと、シラヌと二人、贈り主の正体に思いを巡らせた。
 だから、神官長のバスティルに、納められた風の矢を見たい、と求められた時には、数多[あまた]の供物の山から、すぐさま目的の品を取り出すことができた。
 それを、神官長の命に従って、宝物庫行きの荷とは別にして、入口近くの壁際に置いた。
 そう、確かに置いたのだ。
「確かに置いたのです、と涙目で繰り返すばかりで、それがいつの間に消え失せたのかは、その者も、古参の者も、しかとはわからぬと申しまして――」
「ちょっと待ってくれ。そのことを軍の人間に話していないのか?」
 報告の途中であったが、ユウザは口をはさまずにはいられなかった。
「それが、神殿の上層部からの聴取は受けたのだそうですが、軍の直接の詮議は何も……」
「とんだ職務怠慢だな」
 思わず失笑がもれた。
 奉納品の管理をしていた者たちの証言が真実ならば、矢が盗まれたのは、バスティルが言っていた通り、宝物庫に納められる以前。そうなれば、極端な話、神殿の関係者全員が容疑者になり得る状況だ。
 にもかかわらず、近衛の連中は、矢を神殿に納めたという、どこぞの武具屋での聞込みと、奉納品目録のみを取り上げ、当事者には話すら聞かぬまま、いきなりバスティルを引っ立ててくれたらしい。
 初めから叔父を犯人と決めつけた――否、犯人に仕立て上げようとした、見え透いた悪意を感じる。
 もし、ユウザが皇太子――軍の最高司令官の地位になければ、このまま詳しい捜査も行われず、バスティルは失脚させられていただろう。
「腰を折ってすまない」
 続けてくれ、と促すと、ナザルは小さくうなずいた。
「二人の見張りの内、古参の者が三度、宝物庫への行き来のため、数名の III  種を従えて持ち場を離れております。その[かん]は見習いの者が一人で留守居をしておりましたが、途中一度だけ、急に持ちこまれた供物の扱いを判じかねて、古参の元へ指示を仰ぎに部屋を出たと申します」
「では、その隙に?」
「いえ。急ぎ戻った後も、木箱はそのままだったとか。それ以後は、一度も無人になった時間はないと断言しておりましたが」
「戻ってきた時、箱の中身が既に空だったということは?」
「それはないようです。物が物だけに、わざわざ蓋を開けて、中を確かめたと証言しております」
「その者が嘘をついている可能性は?」
「ない、とは申せませぬ」
「お前は、どう見た?」
 その人柄を、と眼差しで問うと、ナザルは苦い顔で首を振った。
「私の目には、あの者が嘘をついているようには映りませんでした。慣れぬ仕事ながら、懸命に務めようという健気さが窺えましたゆえ」
 あれが演技であれば末恐ろしいですが、と眉尻を下げる。
「……相わかった。他に、あの部屋に出入りした者で、怪しい者は?」
「いえ、古参が申しますには、いずれも顔見知りの者で、宝物庫へ行き来する時刻や回数なども普段通り、何一つ変わったことはなかったそうです。しかし、見習いが一人きりの間に訪ねてきた人物については、何とも言いかねると、苦しい答えが返って参りました」
「新参者では、誰も彼もが見知らぬ者だからな」
 付けこまれたのは、恐らくそこ。
 誰が誰ともわからず、また、何事にも不慣れな中、丸きり一人であれこれ対応していたのでは、必ずどこかに隙が生じる。
 それを見越しての急な異動であったのは、間違いないだろう。だが、計画をより確実に成し遂げるためには、一時[いっとき]でも、あの場所を完全な無人にしたかったはずだ。
 その[あいだ]に、目的の箱を持ち出せれば御の字。そこまではできなくとも、どこに保管されたかわからない箱の在り処を、探る時間がほしかったはず。
 そして、事実、その企みは成功している。一人になった見習いを古参の元へ走らせずにはおかない異常事態とは、果たして何?
「もう一つ尋ねたい。急に持ちこまれたという供物は、何だったのだ?」
 誰からの捧げ物だ? と重ねて問うと、ナザルは心持ち表情を引きしめた。
「白い――」
 鷲が一羽、と。
「白い鷲だと!」
 思わぬ答えに、ユウザは目を見開いた。
「はい。銀の籠に込められて、拝殿の片隅に人知れず置き去られていたとか」
「よりによって生き物か……これは確かに、扱いに困る」
 呟いて、ユウザは苦笑した。かつて、同じ供物を携えてきた者を思い出す。
 白い鷲を腕に抱き、皇帝陛下へ差し上げたいが、どうすれば良いか? と皇居の門番に尋ねたという、実直で信心厚い、向こう見ずな狩人。
 手ずから渡そうなどと考えなければ、囚われることもなかったであろうに、と淡い憐憫が胸をかすめたのは、一瞬のこと。
「だが、鷲が置き去り≠ノされていたというのは嘘であろう。古参が席を外した隙に訪れるなど、時宜が良すぎるからな。大方、鷲を持ちこんだ者が犯人に違いなかろうが……見習いは、覚えておるまいな?」
「残念ながら。籠の中で大暴れしていた鷲に、すっかり気を取られていたらしく」
「まったく、白い鷲というものは、総じて気性が荒いと見える」
 やれやれと首を振り、ユウザは凶暴な白鷲の元祖[ルド]≠ノ思いを馳せた。今ごろ、彼はサイファの部屋で留守を預かっているはずである。
「他に手がかりは? 贈り主は、やはり匿名か?」
「御意。ただ、手紙が添えられていたそうで――」
 言いながら、ナザルは懐から書状を取り出した。これが写しでございます、と腰を浮かせて差し出す。
 はらりと広げて、ユウザは素早く紙面に目を走らせた。
 そこにしたためられていたのは、延々と続く歯の浮くような神々への礼讃。そして最後に、是が非でも叶えたい恋の成就を祈願して、この得がたき鷲を[にえ]として奉る、とある。
「色恋沙汰に白き鷲とは、何とも勇ましい」
 唇を皮肉にゆがめて、ユウザは書状を元に戻した。
「文面からすると、書いたのは男と女、どちらにもとれるな。これは、お前の手による写しだろうが……原本も男手か?」
「いえ、それは見事な女手でございました」
 ふと記憶を探る目をしたナザルが、しかし、きっぱりと首を振る。
「そうか。多分、叔父上宛の書簡と、差出人は同じであろうが……」
 筆跡を見比べられないのが口惜[くちお]しい、と短く舌打ちする。バスティル宛の手紙は、誰かの手で処分された後だった。
「ユウザ様、これから、どのように?」
 結局、犯人へとつながる有力な証拠は得られなかった。首謀者の輪郭すら見えないと言いたげなナザルの瞳に、ユウザはにっと口の[]で笑ってみせる。
「とりあえず、敵は、神官の人事を思うが侭にできる立場の人間。加えて、帝国軍の上層部へ、直に歪曲した情報を耳打ちできる者だ」
「では、近衛の連中は、故意にゆがめられた情報を、鵜呑みに……?」
「さて? 偽りを[まこと]と信じたか、偽りを偽りと知りつつ、真と言い張るか」
 そこまでは知れない、と肩をすくめた。
「軍部の思惑はともかく、嘘つき神官の炙り出しには、叔父上が託して下さった名簿が大いに役立つ。それに、お前に調べてもらったことで、一つだけ、確かになせることがある」
 犯人の目星は付かずとも、これほど不確かな状況証拠ばかりでは、叔父を拘束する正当な理由にはならない。
 今すぐ、神官長の身柄を解放する。
 数刻[のち]、居室の内に、ぞんざいな足音が踏み[]ってきた。
「忙しいところ、ご足労いただいて、すまない」
 突然の呼び出しに、不満の色を隠そうともしない軍装の男――コルテ・エカリア中将は、形ばかりの拝跪[はいき]の後、ユウザの労いを無視して立ち上がった。
 皇族にしては珍しい、日に焼けた肌に、鋭い眼光。無駄な肉などない、均整のとれた長躯と鋭角な面立ちからは、彼が決してお飾り≠ネどではない、[しん]の軍人であることが窺い知れる。
 今年で五十歳になる、帝国軍の事実上の支配者であり、ユウザにとっては少なからず因縁のある相手だ。
『我が帝国軍の足並みを乱す者は、例え、やんごとなきお血筋の方であっても、容赦はいたしませぬ』
 ユウザが帝都防衛隊を預けられた日、着任式を終えた直後にコルテからよこされたのが、祝辞ではなく脅迫だった。
『望むところ』
 若気の至りか。真っ向から対立してみせたユウザは、以来、他の部隊とは明らかに歩幅を[たが]えるようになった帝都防衛隊ともども、目の仇にされている。
 そんな二人の対面が、和やかにすむはずもなく。
「本日の火急のお呼び立て、一体、何用でござりましょうか?」
 さっさと終わらせろ、と言わんばかりの調子で、まずはコルテが口を切った。
「神官長、バスティル・ノース殿下の不当な拘束を、速やかに解除せよ」
 前置きも、間怠っこい腹の探り合いも省いて、ユウザも単刀直入に切り返す。
「何か、勘違いをなさっておいでのようだ」
 コルテの顔に、不遜な薄笑いが浮かんだ。
「帝国の主神殿たる、天下のソルヴァイユの宝物庫で厳重に保管されていた奉納品が凶器に選ばれた時点で、この度の事件が神殿の内情に精通した者の犯行であることは、一目瞭然。前皇太子殿下を襲った賊どもが[いま]だ捕まらぬ中、神官長の御身[おんみ]にまで大事があっては、それこそ取り返しがつきませぬ。我が軍の威信にかけて、誠心誠意、お守り申し上げているだけのこと」
 それのどこが不当か、となじる口調がまた、不敵。
「なるほど。愚にも付かぬ詭弁も、そこまで雄弁に語られれば、いっそ称賛に値するな」
 辛辣な言葉を笑みに乗せ、ユウザは両手の指を顎の下で組んだ。
「凶器は宝物庫から盗まれたのではないぞ」
 出し抜けに、真実を突きつける。庫に納められる前に運び出されている、と。
「そのような報告は、受けておりませぬが」
 ユウザの物言いに、コルテの瞳に剣呑な光が宿った。
「では、中将殿御自[おんみずか]ら、宝物庫の管理担当者を問い質すことをお勧めする」
 神官長を容疑者扱いしている己の愚かさを厭というほど味わえるはずだ、と挑戦的に笑ってみせる。
「容疑者扱いとは、心外」
 コルテの眼差しが、一層冷たく、危うく研ぎ澄まされた。
「――ですが、仮に、バスティル殿下が職務にお戻りになったとして、その身に災厄が降りかかった場合、皇太子殿下はどのように責めを負われるおつもりか?」
 バスティルの軟禁は、あくまで彼自身の安全のため、という強引な姿勢を、どこまでも貫き通す構えだ。
「まるで、神官長殿の御身に災いが降りかかるは必定、とでも言いたげな口ぶりだな」
 彼の漆黒の瞳を正面から見据え、ユウザは嗤った。神官長の代わりにソルティマ神のお告げでも聴いたか?
「まさか。あくまで、仮定の話を申し上げたまで」
「では私も、神官長殿が襲われることはないと仮定して言おう。いや、断定と言い換えても良い。バスティル殿下には、現在ミストリア宮を囲んでいる帝都防衛隊の中から猛者を選び、引き続き身辺の警護を。お住まいについても、離れではなく、これまで通り、現人神たる皇帝陛下と同じ屋根の下でお過ごしいただく。さすれば、災いの火の粉も遠慮して、降る場所をわきまえよう。それでも、万一、殿下のお命が不届き者に奪われるような失態があらば――」
 己の首筋に手刀を当てて、微笑を浮かべる。この首をユウザリオン神殿に捧げて、ご冥福をお祈りするが良い。
「……[おん]大将がそこまでおっしゃるなら、尊き[むくろ]が二体並んでもいたし方ありませぬな」
 お好きになさいませ、とコルテは眉間に皺で毒づいた。
「中将殿が物分りの良い方で、実に助かる」
 こちらも、あからさまな皮肉で返すと、すぐさま筆を執り、バスティル釈放の命令書をしたためた。
「さて、コルテ・エカリア中将殿」
 一切の笑みを消して、厳然と命じる。
「退出のついでに、ミストリア宮への使いを頼みたい」
 それに無言で一礼を返し、コルテの指が机上の書類を攫った。そのままの足取りで、廊下へ。
「ナザル!」
 次の[]で、息をひそめて成り行きを見守っていたナザルを呼び寄せ、後を追うよう目顔で指示する。
 その背中が戸口から消えるのを見届けてから、ユウザは机の抽斗を静かに引いた。取り出した分厚い名簿を、ぱらりと[]る。
「次は、どこをつつこうか――」
 ずらりと並ぶ神職者たちの名を眺めやり、そう独り[]つ声音が、やけに虚ろに響いた。
- 2010.05.23 -
 
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