Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 71 話  異変[いへん]
 これは、夢だ。
 霧の立ち込める森の中を必死になって走りながらも、サイファは頭の片隅で冷静に思う。
 大丈夫。目が覚めれば、全てが終わる。
 それでも、己の意思で眠りを断ち切ることができない。
 サイファは走り続けた。
 得体の知れない恐ろしさに脅えつつ、ひたすら樹海の切れ目を目指して駆けて行く。
 やがて、霧の向こう側に、柔らかな陽射しが見えた。
 助かった!
 安堵と共に、光の世界へ飛び出すと、そこは見渡す限りの草原だった。
 その中央に、片膝立てで、うな垂れる人影がある。
 誰だ?
 目を凝らすと、突然、人影は大きく仰け反るようにして、背中から大地に倒れた。
 人影は、男だった。
 黒髪で、長身の――。
 急に、動悸が早まった。
 嫌な予感が、頭の中を駆け巡る。
 サイファは男の傍へ駆け寄った。
 そして、その場に立ち竦んだ。
 黄金色の目をした大蛇が、縛めるように、ユウザの全身に巻きついていた。
 蛇の黒い舌が、ちろちろと彼の首筋を這う度に、刻まれた苦悶の表情が深くなる。
 ユウザの唇から、低い呻き声がもれた。
 虚ろな眼差しは、サイファを――何ものをも見ていない。
 捕らえた獲物をいたぶるように、蛇の胴が、みしり、と蠕動[ぜんどう]した。
 それに合わせて、骨の砕ける鈍い音が間断なく響き……。
『やめろ! ユウザを放せ!!』
 激しい恐怖と憎悪が、一気に膨れ上がった時――。
「おい、しっかりしろ!」
 肩を揺すぶられる衝撃で、サイファはパチリと目を開けた。目前に、心配そうにこちらを見守るクロエの顔があった。
「大丈夫か? ずいぶんうなされていたが」
「……ごめん。居眠りしちゃったみたいだ」
 サイファは手の甲で目をこすりこすり、詫びた。額に、じっとりと嫌な汗がにじんでいた。
 時刻は、十七時を過ぎている。
 午後から予定されていた本日の歌の稽古は、エレミナの都合で取り止めになっていた。
 それは、サイファにとっても、ありがたい予定変更だった。いくら皇帝の命令でも、こんな状況で悠長に歌っている気分ではなかったし、クロエを放って行くのも気がかりで、どうしたものかと迷っていた矢先のことだったから、先方から断りの使いがやって来た時には、思わず胸を撫で下ろした。
 それから後は、ずっとクロエの傍で、何の気兼ねもなく、彼の怪我のことだけ考えながら過ごした。カレナ城から届けられた見舞いの果物を剥いてやったり、背中の汗を拭ってやったり……。
 そうこうしている内に、いつの間にか睡魔に負けたようだった。
「自分の部屋に帰って、ゆっくり休んだらどうだ?」
 昨夜から寝ていないのだろう? と気遣ってくれるクロエに、サイファは、平気だから、と笑ってみせた。
「悪い夢でも見たか?」
「……まあね。近ごろ、同じような夢ばっかり、繰り返し見てる」
 寝起きでぼんやりしていたせいもあってか、つい、本音がもれた。眠りは浅いし、気分は悪いし、嫌になっちゃうよ、と。
「どんな夢だ?」
 ふいに、クロエの表情が引き締まった。何か悩みでもあるんじゃないのか? と、本格的に事情聴取されそうになって、サイファは慌てた。
「そんな大げさなもんじゃないって! たかが夢だろ?」
 大丈夫、大丈夫、と苦笑して、席を立つ。
「ちょっと、モーヴ爺さんのところに行ってくるよ」
 十八時になれば、いつも通り、宴席に侍る支度に入らねばならない。その前に、クロエの手足≠ノついて、モーヴに相談しておきたかった。
「――あ、そうだ」
 サイファは扉の取っ手に手をかけたところで、ふと思い出して振り返った。
「この後、晩餐会に出なきゃならないから、今日は、もう、ここには戻って来れないと思うんだけど、今の内に何かしておいてほしいこととか、ある?」
 あたしが無理だったら誰かに頼んでおくけど? と、寝台のクロエに声をかける。
「いや。ここまでしてもらえれば、十分だ」
「そう? じゃあ、また明日、様子を見に来るからね」
 少し早いけど、お休み、と挨拶して、サイファは廊下に出て、扉を閉めかけた。
 そこへ――。
「今日は、ありがとう」
 戸口の隙間から滑り込ませるように、クロエが微笑んだ。
「お前も、あまり無理はするなよ」
「ん」
 小さく顎を引いてうなずき、サイファは今度こそ静かに戸を閉めた。
 真紅の絨毯を早足で歩きながら、独りでに笑みが浮かぶ。
 去り際にかけられた短い労いの言葉は、それからしばらく、サイファの胸を温かく満たしてくれた。
 晩餐の席となる大食堂は、いつもの享楽的な雰囲気など微塵もない、殺伐とした空気に包まれていた。
 [あで]やかな孔雀色の、肌も露わな衣装でサイファが現れても、野卑な視線が突き刺さったのは一瞬だけで、すぐに漣のような話し声が戻ってくる。
 列席者たちの関心は、ヘンシェル・アマンの謀反に集まっていた。この件による影響がどこまで及ぶのか、ひそひそと憶測を交し合っている。
 サイファは自分の席に着く前に、軽く辺りを見回した。ハシリスの姿が見えないのはいつも通りだが、ユウザやバスティルの姿も見当たらない。
 サイファは背筋を伸ばして姿勢を正すと、自席には向かわず、先日、バスティルと並んで座った長椅子に陣取った。時間を持て余している風を装いながら、それとなく人々の会話に耳を澄ませる。
「前々から軽薄な男だとは思っていたが、まさか皇太子殿下を闇討ちしようとはな」
 近くの席で、三人の皇族が立ち話に興じていた。皇太子という単語に、思わず全身で反応する。
 サイファは息を詰め、聴覚に神経を傾けた。
 いつもなら、自分に対する下品な言葉を聞くのが嫌で、早々に己の殻に閉じこもってしまうところだが、今日は違う。ユウザにとって有益となる情報が得られるかもしれなかった。
「全くだ。いくらコルヴェート殿でも、今回ばかりは庇いきれんだろう」
 酒を飲みながら、別の男が応じた。家門の取り潰しは免れまい、と。
「何でも、近衛に代わって帝都防衛隊が捜査に乗り出したそうだ。真相が明らかになるまでアマン家の処分は保留にすると、皇太子殿下から直々に議会へ通達があったらしい」
「真相も何も……自身が襲われたというのに、相変わらず酔狂な皇子だな。さっさと一族もろとも処刑すれば良いものを」
「人との合いの子ゆえ、我々とは頭の造りが違うのだろう」
 そこで、男たちは一斉に笑った。
 サイファは、何が可笑しいのかと、不愉快になった。お前らなんかより、ユウザの方がずっと頭がいいんだからな、と心中で悪態を吐く。
「それにしても、シュワル殿は気の毒だったな。娘婿が、これほど愚かだったとは……」
「なに、自業自得だろう。ダルネの金に目が眩んで、アマンごときに娘を売るから、こんな目に遭うのだ。せっかくまとまりかけていた皇太子との縁談も、これで、どうなるかわからなくなったぞ」
 さらりと吐き出された台詞が、サイファの胸を貫いた。
(ユウザの……縁談?)
 早鐘のような鼓動を深呼吸で無理やり押さえつけるも、次の一言でとどめを刺される。
「……ああ、第七皇女のエレミナ姫か」
 周知の事実とばかりの軽い調子で、もう一人が相槌を打つ。
「あれはもう、白紙だろう。いくら陛下がエカリアとの縁組みに乗り気でも、花嫁の姉が謀反人の妻では、諦めざるを得まい」
「すると、残る候補は、ダルネの第三皇女とルノエの第一皇女か?」
「いやいや。今度のことで、アマンの遠戚にあたるダルネの姫も、候補から外されるだろう。ルノエのティエラ姫の一人勝ちだ」
「何と言うことだ。あの気位ばかり高い、ぼんくら一族が、直系に返り咲きとは。世も末だな」
「仕方あるまい。現状では、ルノエ以上の純血は望めないのだから」
「せめて、アストリッドに娘がいれば良かったのだが……あそこは世継ぎすらいないからな。初代皇帝の妃にと望まれて以来、優れた君主を輩出し続けてきた名家も、とうとう、これまでか」
「ほんに、半神のお妃選びは大変だな。貴いノースの血も、穢れた人の血に汚染されていては、浄化するところから始めねばならん」
 再び、男たちは嘲るように哄笑した。
 しかし、その笑い声も、今のサイファには遠く聞えた。
 いつかは訪れるとわかっていた、ユウザの結婚話。わかってはいたけれど、覚悟はできていなかった。
 こんなにも早く直面するとは、思っていなかったのだ。
 おまけに――。
(相手がエレミナ姫だなんて……)
 ハシリスが言っていた相応の姫≠ニは、エレミナ・エカリアのことだったのだ。
(どうして、選りに選って、師匠なんだよ)
 急に目頭が熱くなった。自制する間もなく、ぽたぽたと大粒の涙が落ちてくる。
 ここ数日、エレミナと過ごした濃密な時間が、鮮やかに蘇った。
『思ったとおり。あなたは、最高の原石ね』
 稽古を一休みしてお茶を飲みながら、エレミナは歌うように笑った。
『時間がないから、あなたにはずいぶん無理をさせているのはわかっているけれど、本当に飲み込みが早くて、指南する者としては嬉しい限りだわ』
『そんなこと! きっと、姫様の教え方が上手だからです!』
 サイファは、謙遜でも、お世辞でもなく、心からそう思った。
『歌うことがこんなに楽しいなんて、初めて知りました』
 正しい発声法、歌詞の解釈、奏者との呼吸の合わせ方……。
 エレミナが教えてくれたことの一つ一つが、サイファに新鮮な驚きと、学ぶことの愉しさを与えてくれた。歌を歌うという行為に、いつの間にか使命も忘れて、本気で没頭している自分がいた。
『そんな風に言ってくれて、ありがとう。私もね、伴奏する楽しさを、あなたに教えてもらった気がするの』
 サイファの正直な想いを、エレミナは素直に喜んでくれた。そればかりか、こんなことまで言ってくれた。
『陛下とのお約束は二週間だけど、それが終わったら、私の館へ遊びにいらっしゃいな。誰かに聴かせるためでなく、戯れに合奏しましょう。美味しいお菓子を用意して、待っているわ』
 今から楽しみね、と華やいだ笑みを浮かべる。
『……ありがとうございます』
 サイファは深々と頭を下げた。そうしないと、潤んだ瞳を姫に見られてしまいそうだった。
 社交辞令でも、嬉しい、と思った。エレミナの提案は、自分が描いていた夢、そのものだったから。
 サイファは何度も瞬きして涙を引っこめてから、にっこりと面を上げた。
『でも、今は、大事な舞台で恥をかかないよう、頑張らなくちゃ』
 これからも宜しくご指導ください、お師匠様、と恭しく頭を下げてみせると、エレミナは、ふふ、と軽やかに笑った。
『お師匠様は止してちょうだいな。あなたは私と同い年なんですってね。敬語も敬称もいらないわ』
 エレミナと呼んでちょうだい、と皇女の貫禄で言う。
『――あぁ、そうだわ、良いことを思いつきました』
 エレミナの瞳が、新緑の風に吹かれる若芽のように瑞々しく輝いた。
『宴席で披露する際には、私が伴奏できるよう、陛下にお願いしてみましょう』
『え? でも、皇女様が宴の余興なんて……』
 言いよどむサイファを、エレミナは溌剌とした笑顔で諭した。
『あら、それを言ってはいけないわ。皇太子殿下なんて、国賓の前で剣舞を披露なさったことがおありなのよ? あれに比べれば、私の伴奏など可愛いものでしょう』
 それに、慣れた相手と一緒の方が緊張も少なくてすみますからね、と、ふわりと微笑む。
 その優しい心遣いに、サイファは感激した。エレミナは、自分が肌で感じたとおりの、聡明で思慮深い、清廉な人柄だ。
『姫の……師匠の名に恥じぬよう、精一杯お努めいたします』
 サイファが拝跪すると、エレミナは、両の眉を持ち上げた。
『エレミナと呼んで、と言ったばかりでしょう?』
 物覚えの悪い弟子は嫌いよ、と不服そうに唇をとがらせ、それから、誠実な目でサイファを見返す。
『あなたと、このような形で出会えたことを、陛下に感謝するわ』
 そこまで思い出したところで、サイファは嘆息をもらした。
(……陛下は、わざと、あたしと姫を引き合わせたんだろうか?)
 ユウザを諦めさせるために。エレミナとは比べものにもならない、貧相な己を自覚させるために――。
 サイファは、袖口でそっと涙を拭った。強くならなければ、と改めて思った。
 ユウザの傍に居る、と決めた時から、試練は始まっていたのだ。
 これから先、どんなに傷ついても、傷つけられても、それに耐え抜く強さがなければ、望みは叶わない。エレミナとの間に芽生え始めた友情も、手放す羽目になる。
(もっと、頑張らなくちゃ……)
 唇を噛んで、気合を入れ直した時、ふいに辺りに薫香を感じた。
 これはユウザの香りだ、と悟ると同時に、男の指で、うつむいていた顎をすくわれる。
「何を泣いている?」
 覗きこむように見つめてくる翠玉の瞳に、胸が軋んだ。
 この眼差しは、いつか自分以外の女性に向けられる。自分は、それを[はた]から物欲しげに見ているしかないのだ。
 そう思ったら、また、涙がこぼれた。
「どうした?」
 誰かに何かされたか? と顔をしかめながら、ユウザは親指でサイファの涙を拭った。触れられた頬が、たちまち熱りだす。
 サイファは、ううん、と首を振った。何でもない、と急いで立ち上がる。
 渦中の皇太子の登場で、食堂内はざわついていた。人々の視線が自分たちに集まっているのを、痛いほど感じる。
 しかし――。
「何でもないのに、泣く奴があるか」
 ユウザは周囲の目など一切気にしていないようだった。まるで、いつぞやのバスティルみたいに。
 だが、衆目にさらされることにいまだ慣れないサイファは、一刻も早く、この場から逃れたかった。さっきから、二人の関係を勘繰るように、ちらちらと送られてくる冷たい視線が突き刺さる。
「本当だってば! ほら、あれだよ。ちょっと目にゴミが入っただけ」
 自分でも、しょうもない言い訳だと思う。当然、ユウザの目も呆れている。
「全く……」
 サイファが本当のことを言いそうもないと断念したのか、彼は溜息とともに、あまり無理はするなよ、と忠言をよこした。
「それ、さっきも言われた」
「誰に?」
 クロエ、と短く答えると、ユウザは、ふうん、と喉の奥で呟き、一瞬、遠い目をした。それから、初めて辺りをはばかるようにサイファの耳元へ顔を寄せ、低く囁く。
「今夜、宴が終わったら、寝る前に私の部屋へ来い」
 話がある、と。
「……わかった」
 真夜中になるのに、と思ったが、あえて口にはしなかった。どうせ、宴会の後はすぐに寝付けないのだから、ちょうどいい。
 ユウザは満足げに頷きを返し、藤紫の長衣を翻した。その途端、注がれていた視線が彼の後を追うように、サイファから離れていく。
(……やっぱり、いい男だもんな)
 話題の中心人物であるというだけでなく、ユウザの存在そのものが際立っていた。彼を見つめる貴婦人方の瞳は熱を帯びていて、どこか夢見がちである。
 これまでの軍装ではない、装飾過多な太子の衣装は、彼の生来の容姿をより華麗に、美しく見せていた。
 でも、サイファは、そんな貴公子然とした装いよりも、地味な深緑の外套[マント]を颯爽とひらめかす、凛々しいユウザの方が好きだった。時折見せる、秀麗な容姿に似つかわしくない、猛々しいほどの激しさにこそ、強く惹かれる。
 ユウザが着座するのを見届けてから、サイファも卓に着いた。今の自分と彼の距離を象徴するかのように、皇太子の席は遠い。
(話って、何だろう?)
 サイファは、意識を楽天的に切り替えた。大嫌いな晩餐会も、この後でユウザと過ごす一時[ひととき]が待っていると思えば、さほど苦ではなくなった。
 いつか失う日のことを考えて、今から鬱々と嘆くより、今、目の前にある幸福を、ありがたく享受しようと思う。
(大丈夫)
 自分は、まだまだ頑張れる。
 しかし、とても頑張れそうにない事態が、サイファを待ち受けていた。
「は!? あんた、気は確かか!?」
 宴の後、夜半過ぎ――。
 既に寛いだ寝衣に着替え、自室の寝台で悠揚と寝そべる主に向かって、サイファは僕らしからぬ暴言を吐いた。
「話があるって言うから来たのに!」
 一緒に寝ろとは何事だ、と怒りを露わにする。
「別に、お前を抱き枕にしようというのではない」
 相変わらず寝床に片肘を着いたままの楽な姿勢で、ユウザは平然と答えた。
「毎晩、悪夢にうなされて、ろくに眠れないのであろう?」
「何で知って――」
 言いかけて、すぐに思い当たった。
(クロエの奴! 何でもかんでも報告しやがって!)
 脳裏に浮かんだ澄まし顔の秘書官を心の中で罵りながら、サイファは溜め息をついた。
「嫌な夢を見るのは本当だけど、ただの夢だし、心配ないよ。それに、体をとことんまで疲れさせたら、その内、眠らずにいられなくなるって」
「それなら、なおのこと、私が疲れさせるのを手伝ってやろう」
 サイファの言葉尻に被せるように、ユウザが戯言を吐いた。一晩褥を共にすれば良い夢を見せてやるぞ、と、のたまう笑顔が微妙に邪悪に見えるのは、絶対に気のせいなんかじゃないと思う。
「死んでもお断りだ」
 冷ややかに吐き捨てて、踵を返した瞬間。
「勘違いするな」
 鋭い一声[いっせい]に、無理やり引きとめられた。
「私は許可など求めていない。命じているのだ」
 寝台の上で上体を起こし、ユウザは片膝を立てて座った。その姿が、さっき見た忌まわしい夢の中の彼と重なり……。
 サイファは、自分の腕で、震えそうになる自身を抱きしめた。あれは夢なんだから、と強く己に言い聞かせ、きつく目を瞑る。
「悪い夢を見たくらいで、何日も眠れなくなるのは、明らかに異常だ。とにかく、今夜一晩、お前の身に何が起きているのか、私がこの目で確かめてやる。それで、もし、何らかの病が疑われるようであれば、改めてルーアン殿に診ていただこう。――おい、どうかしたか?」
 サイファの異変に気づき、ユウザが寝台から下りてきた。大丈夫か? と、肩に手を置かれた途端、体がびくりと勝手に跳ねる。
「……ごめん。ちょっと、怖い夢を思い出しちゃって……」
 喉が、からからに干乾びていた。
 単なる夢だとわかっているのに、どうして、これほど不安になるのか、恐怖を覚えるのか、自分でもわからない。
「どんな夢か、詳しく話してみろ」
 ユウザに導かれるまま、寝台の端に並んで腰を下ろし、サイファは重たい口を開いた。
 初めて見た、大蛇に追われる夢。いつぞや会った砂漠の民に、陵辱されかけた夢。そして、巨大な蛇に絞め殺されそうだった、ユウザの夢……。
「私は、夢の中でまで、お前を苦しめているのか?」
 サイファの銀糸の髪を梳くように撫でながら、ユウザは切なげに目を細めた。
「そんなことない! 悪いのは、あの蛇男だもん!」
 期せずして傷つけてしまった彼を直視できなくて、サイファは、その胸に顔を伏せた。
「……あんたが悪いんじゃないのに……でも、今まで見た中で、一番怖かったのが、今日の夢なんだ……」
「人の精神と夢は、密接に繋がっているというからな」
 すがりついたサイファの体を両腕で囲いこむようにしながら、ユウザは呟いた。現実に起きた出来事が、自分で認識している以上に負担となっていることもあるだろう、と。
 確かに、ユウザを失うことを何よりも恐れている、無意識の――己の心の弱さが見せる悪夢かもしれなかった。自分が強い心を持てれば、解決するのだろうか?
 独り、物思いに沈んでいると、ふいに背に回されたユウザの腕に力がこもった。
「まぁ、何はともあれ、もう遅い。今日は、ここで寝ろ」
 言うやいなや、腕に抱えたサイファごと、ぱったりと夜着の上に倒れこんでしまう。弾力のある厚い敷物が、二人分の体重を柔らかく受け止めてくれた。
「ちょっとぉ!」
 じたばたと抵抗するも、彼の膝で腰の辺りを押さえつけられ、身動きが取れなくなった。
「枕が暴れるな」
「誰が枕だ! ついさっき、抱き枕にする気はないって言ったのは、何処の、どいつだ? え!? この嘘つき皇子!」
「悪いが、気が変わった」
 さらりとぬかして、ユウザはさっさと目を閉じた。サイファの頭を胸に引き寄せ、右腕で抱えるように肩を抱く。
「おい、こら! 本当に、このまま眠る気なのか?」
 ユウザの鼓動を肌身で感じながら、サイファは心底困り果てた。脈があんまり速く打ち過ぎて、血管が破裂してしまいそうだ。
「一晩中、こうして抱いていてやる。だから、安心して休め」
 目を瞑ったまま、彼は気だるげに答えた。早くも、半分、夢の中といった風情である。
「そんなことされたら、一秒だって、眠れるか!」
 サイファの渾身のツッコミは、ユウザの安らかな寝息に、あっさり黙殺されたのだった。
- 2013.06.16 -
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