Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
第 73 話  [][]かす、[][うら]
 サイファは夢心地のまま朝を迎えた。
 自分の左手を、温かく大きな掌がくるんでいる。ほんの少し目を上げれば、長い睫の、美しい皇嗣[こうし]の寝顔がある……。
 昨夜、ユウザが怯える自分を抱きしめてくれた時、それだけで、サイファは救われた気になった。
 これから先、一体いつまで、この悪夢にさいなまれるのか、不安で仕方がなかったけれど、それでも、必ず助けてやる、と言ってくれた、彼の気持ちが嬉しかった。
 あんな蛇男になんか、負けていられない。自分も、頑張らなくては――。
 そんな必死の想いを、ユウザは正面から受け止めてくれた。労わりだけではない、[めくら]むほど甘美な口づけで……。
(何か、本当に夢みたいだったな……)
 まざまざとよみがえる記憶に恍惚として、サイファは独り微笑んだ。
 あの時――唇を重ねたまま、いつの間にか寝台に横たえられ、覆いかぶさってくるユウザの重みを全身で迎え入れる内に、サイファは胸に立ちこめていた恐怖が、いともたやすく霧散するのを感じた。それどころか、もっと危険な願望に支配された。
 このまま、ユウザに抱かれてもいい――否、抱かれたい。
 恥ずかしいほど強烈な欲望が膨れ上がった瞬間、こちらの意に反するように、彼は唇を離した。
 しかし、その行為はいつもの突き放すような冷淡さではなく、いかにも名残惜しげで、じゅうぶんに愛情を感じさせるものだった。
 ユウザはサイファの隣にごろりと仰向けに倒れると、石緑色の天蓋を見上げたまま、怒ったような口調で呟いた。
『……謝らぬぞ』
 額に落ちかかる前髪を乱暴に掻き揚げ、大きく一息ついてから、決然と言い放つ。
『勝手な真似をしたのは悪かったと思うが、今し方お前にしたことを、私は悔いていない』
 お前を愛しく思う心に偽りはない、と――。
 サイファは何と返して良いかわからず、黙りこんだ。
 つい先日、冗談半分に思い描いたばかりの都合の良い、夢のような話≠ェ現実になったなんて、にわかには信じがたかった。
 とはいえ、今、この瞬間のユウザの言葉と態度は、完全に一致している。彼が、本当に自分を愛してくれているんじゃないかと、自惚れでなく思える。
 しかし、これまでにも同じような確信的期待を抱き、その都度、裏切られてきたという悲しい実績がある。
 ユウザを信じたい。でも、信じるのが怖い。
 好きなら好き、嫌いなら嫌い、とハッキリ言ってくれた方がスッキリすると思っていたのに、打ち明けられたら打ち明けられたで、これが切実な本音なのか、情け深い建前なのか、判断に迷う。
『……怒ったのか?』
 サイファの沈黙を拒絶ととったのか、ユウザは片肘をついて半身を起こし、こちらに体を傾けた。何とか言え、と、ふてたように顔をしかめる。
『……本当に、本当?』
 サイファは恐る恐る口を開いた。またしても、からかわれているだけなんじゃないかという疑念が、どうしても拭いきれない。
『ずいぶん信用されていないものだな』
 ユウザはあからさまに苦笑した。それくらい空気で察しろ、と。
『そんなの、わかんないよ! あんたは涼しい顔で嘘をつく名人なんだから!』
 思わず唇をとがらすと、ふいに身を乗り出してきた彼に、軽く音を立てて[ついば]まれた。たちまち、頬が熱くなる。
『確かに、日頃の行いが悪すぎたからな』
 目前で、ユウザの口元がへの字にゆがんだ。今さら以心伝心を期待するのは虫が良すぎるか、と呟いて、真っ直ぐにサイファを見下ろしてくる。
『自分でも、驚いているのだ。今の今まで、私は自分のことを、この国に身も心も捧げた忠臣と信じて疑わなかった。皇帝の命は絶対で、一族の意志に逆らうつもりなど毛筋もなかった。半神に相応しい純血の姫を娶り、継嗣さえ生せば、直系の男子としての義務は果たせる。それなのに――』
 小さく一つ、自嘲のため息をもらして。
『いざという時、私はこれまで守り続けてきた掟も、忠義も、一瞬で捨て去れる逆臣であることに、気づいてしまった』
『そんな! 逆臣だなんて――』
『気づかせたのは、お前だ』
 驚いて口をはさみかけたサイファは、ユウザの思いがけない一言で再び黙りこんだ。
『私は物心ついたころから常に、課せられた責務と己の願望とを秤にかけ、無条件で責務を選んできた。それが、皇孫として生を受けた私に求められる役割だと心得ていたし、覆してはならない定めだと受け入れてきたからだ。しかし、それは錯覚に過ぎなかったのだと思い知らされた。受け入れたつもり≠ノなっていただけで、己にとって何よりも大切な存在に気づいた途端、責務など消し飛んでしまったのだからな』
 そう困ったように微笑んだのも束の間、ユウザは、どこか腹を据えたような強さで息を張り、サイファを見つめた。
『――好きだ』
 決意表明のように、言い渡された一言。
『ずっと、お前が欲しかった。欲しくて、欲しくて、たまらなかった』
 だから、何度も目を逸らし続けた。手に入らない、手に入れてはいけないと、繰り返し自分に言い聞かせ、これ以上、心惹かれることがないよう、自ら宝に瑕をつけた。
『己の未練を断ち切るために、お前を不当に傷つけてきたのは、卑怯だったと思う』
 すまなかった、と静かな口調で謝罪がなされる。
『ううん』
サイファは必死に頭を振った。
 そんなことは、もう、どうでもよくなっていた。彼が、こうして胸を割って――誠意をみせてくれたことで、全てのわだかまりは一瞬にして氷解した。
 やはり、自分の目は確かだったのだ。
 ユウザ・イレイズは、信頼と尊敬の念を捧げるに相応しい――愛するに足る男だった。
 それだけでも、泣きたくなるくらい幸福だったのに、彼はもっと強固な言質[げんち]をくれた。
『お前を失うくらいなら、私は全てを[なげう]つ。己の立場も、一族の絆も、何もかも。だが、そうなる前に、お前も、この国も、双方と共に歩める、最善の道を探す努力はするつもりでいるが――』
 そんな気の多い男は嫌いか? と、冗談めかして問うてくる瞳には、一点の迷いもない。誠実で真摯な、翠緑玉の瞳。
 サイファは黙ったまま、首を横に振った。胸がつまって、言葉にならなかった。
 どんなに努力を重ねても、決して見つからないかもしれない道。運よく見つけたとしても、絶対に険しいとわかり切っている道。
 そんな茨の道を、彼は選んでくれるという。
 サイファは、こみ上げそうになる涙を何とか押し止めた。そんな無理が[まか]り通るかは別として、これほど重い覚悟で向き合ってくれたユウザの想いに、今はただ、素直に甘えたかった。
『あたしも、あんたが好きだよ』
 微笑みながら伝えると、彼は、知っている、と喉の奥で愉しげに笑った。
『この前、聞いた』
『この前って、いつだよ?』
 そんなこと言った覚えないぞ、といぶかるサイファに、ユウザは艶やかな笑みで応じた。
『物覚えの悪い頭だな』
 お仕置きだ、と囁くやいなや、再び唇をふさがれる。
 サイファは、すぐさま官能の海に投げ出された。
 厚みのある力強い舌で唇を割り開かれ、口腔を思うさま[ねぶ]られ、全身を甘い痺れが貫いていく。狂おしいほどの切なさばかりが、いや増しに募っていく。
 このままでは、溺れてしまう――。
 気がつけば、ユウザにしがみついていた。こうして縋りついていないと、自分が何処か遠くへ流されていくようで――快楽の波に呑まれてしまいそうで、怖かった。
 一度目より長く、息つく間も与えられぬほど激しい口づけの最中[さなか]、サイファは無意識に深い呼吸を求めて喘いだ。
『んぅっ……ふ……』
 二人の唇の隙間からこぼれた息が、驚くほど熱い。
 ふいに、ユウザの唇が離れた。代わりに、両の手首を絡め取られる。
『そんなに強く抱きついて……私を締め殺す気か?』
 くすりと笑いながら、とらえた手の甲に、ゆったりと唇を這わせてくる。その泰然とした態度に、サイファは無性に腹が立った。
『……何か……ずるい……』
『狡い?』
 何が? と、怪訝に眉を寄せるユウザから目を逸らし、荒い呼気で吐き捨てる。
『あたしばっかり、ドキドキしてる……』
 自分だけ息が上がって、痛いほど胸が疼いて、訳のわからない不安に駆られている。此の期に及んでも、自分一人が翻弄されているのが恨めしい。
 すると、ユウザは心外だと言わんばかりに眉を上げた。
『それは、酷い言いがかりだ』
 真面目腐った調子で抗議しながら、とらえたままだったサイファの手を、己の胸板に宛がう。たちまち、掌越しに伝わる、強く、鋭い鼓動……。
『――わかるか? 運動したわけでもないのに、なぜ、これほど乱れていると思う?』
 耳朶に口づけるようにして囁かれる、ユウザの低い声。背筋が、ぞわりと震えた。
 心臓が、彼に負けないくらいの速さで拍動する。
 でも――。
『お互い様……だろう?』
 覗きこんできたユウザの顔が、心なしか照れくさそうに見えて――。
(良かった……)
 サイファは頬が緩むのを感じた。彼も、少しは緊張しているのだと知って、気が大きくなった。
『やっぱり、私の方がドキドキしてるよ』
 触ってみる? と、彼の手を取り、自分の胸に引き寄せかけたら、要らぬ! と、素早く引き戻されてしまった。首を振り振り、まったく! 油断も隙もない、とか何とか、ブツブツぼやいている。
 その彼らしくない狼狽ぶりが可笑しくて、サイファはすっかり寛いだ気持ちになった。
 何て、幸せなんだろう。
 帝都に来てからというもの、こんなにも穏やかで、安らぎに包まれた夜を過ごすのは初めてだった。
 笑みを浮かべたままユウザを見つめていたら、視線に気づいた彼も、こちらを見返してきた。あんまり真っ直ぐ見つめてくるので、段々、落ち着かなくなってくる。
(どうしよう? 何か……すごく恥ずかしいんだけど……)
 舐めるよう――というよりも、ほとんど噛みつかんばかりの強い眼差しに耐えきれず、目を伏せた瞬間、瞼に口づけられた。ビックリして反射的に見上げた先に、ユウザの思いつめた固い表情があって――。
『あまり、私に気を許すなよ』
『え? どういうこと?』
 好きだと言ってくれた相手に、どうして心を開いてはいけないのだろう?
 意味がわからず、小首をかしげると、彼の喉がごくりと鳴った。
『――こういう、不埒な真似をするからだ』
 言うが早いか、首筋に痛みが走るほどきつく、吸いつかれる。
『ちょっ、馬鹿! やめろって――ぅふ……』
 罵る言葉が、途中で鼻から抜けるような甘え声に変わってしまったのは、吸いつかれたところを舌先で優しく撫でられたからだった。不本意ながら、勝手に変な声が出てしまい、顔が赤らむ。
『な? 危ういだろう?』
 にっこりと、底意地の悪い笑顔で目を覗きこまれ、サイファはむくれた。
『あんた、やっぱり性格悪い!』
『何を今さら。言っただろう? ずっと、お前が欲しかったんだ。この程度で我慢してやっている私に、感謝してほしいくらいだ』
 しゃあしゃあと言ってのけたかと思うと、ユウザは、ほら、と掌を差し出してきた。手を重ねろ、という意味らしいが――。
『もう、油断しないぞ!』
 サイファは、毛を逆立てた猫のように警戒感むき出しで距離をとった。
 ユウザが愛しくてたまらないけれど――彼に焚きつけられた体の芯は未だに燻っているけれど、この勢いに押されて最後の一線を越えてしまうのは、何だか違う、と思った。火照った体に心が引きずられるのではなくて、昂った心に体を追いつかせたい。
 そんなことを真剣に考えていた自分は、よほど切羽詰まった顔をしていたのだろうか。人の気も知らないで、ユウザはさも可笑しげにくつくつ笑った。
『心配するな。今日はもう、何もしない』
 これ以上したらこちらの身が持たない、と眉尻を下げる。
『……信じて、良いんだな?』
 サイファは用心深くユウザの表情を探った。それに対して、彼が、ああ、と気安く請け合う。
 サイファがおずおずと距離を縮め、ユウザの掌に手を載せると、彼はぎゅっと指を絡めて握りこみ、反対の手で彼女の腰をぐいと引き寄せた。
『わっ』
 不意をつかれ、ユウザの胸に倒れこんでしまったサイファは、そのまま彼の腕にすっぽりと抱えこまれた。せっかく治まりかけていた動悸が、再び早まる。
 一方のユウザは、繋いでいない左手だけで上掛けを手繰り寄せ、二人の体を包むように覆った。夏も間近とはいえ、明け方には冷えこむのが常だ。
『これ一枚で、寒くはないな?』
『大丈夫』
 こんな時でも、ユウザがユウザらしいのが嬉しくて、サイファはそぉっと、偶然触れた風を装って、彼の胸に唇を寄せた。大好きだよ、と想いをこめて。
『朝まで、少し眠ろう。うなされたら、すぐに起こしてやる』
『うん』
 彼は、よし、と幼子をあやすようにうなずくと、サイファの手を握ったまま、目を閉じた。
 サイファも大人しく目を瞑った。ユウザが傍にいてくれるなら、大丈夫な気がした。
 実際、彼を抱き枕にしていたと思われる時間帯は、幸福な夢を見ていたのだ。里帰りで一緒に行ったあの滝で、ユウザの胸に抱かれて過ごす夢を。
 でも、結局、それから一睡もしない内に、朝になってしまった。緊張した訳ではなく、あんまり幸せすぎて、眠れなかった。
(ユウザに知れたら、笑われるな)
 ひっそりと苦笑いして、サイファはまじまじと愛しい男を見つめた。
 こんな風に、ユウザの隣で寝ていることも不思議だったが、この完璧な男が自分を好いてくれているということ自体、奇跡だと思う。
(もしかして、本当に夢だったりして……)
 頬をつねってみようか、などと馬鹿げたことを考えていたら、いきなりユウザが目を開けた。寝ぼけ眼ではない、いやに明瞭な視線を向けられて、意味もなく動揺する。
「お、おはよう」
 つい、どもってしまった。
 ユウザは、ゆっくりと瞬きしてから、目を細めた。口元に浮かんだ笑みが、蜜のように甘い。
「早いな」
 眠れなかったか? と問われ、サイファはふるふると無言のまま首をふった。寝起きでかすれた男の声が、心臓に悪いほど色っぽかった。
 ユウザはサイファの手を解放すると、上体を起こした。こちらも、慌ててそれに倣う。
 互いの気持ちを確かめ合い、あんな風に何度も口づけを交わした後で、どのように振る舞うべきなのだろう? どきどきしながら、伏し目がちに様子を伺う。
 そんな中、ユウザはいつも通りの――何事もなかったような顔で寝台を下りた。それから、ふと思い出したように、こちらを振り返る。
「そろそろ、朝の謁見に備える時間だろう? お前も、一度、自分の部屋へ戻れ」
 人目がない内にここを出た方が良い、と冷静に指示され、サイファは我知らず消沈した。
 さっきまでの甘やかな空気は、嘘みたいに掻き消えてしまっていた。そればかりか、彼は自分と一夜を共にしたことを――何も疾しいことはなかったとはいえ、人に知られたくないのだ。
(……そりゃあ、バレないに越したことはないからね)
 いくら、茨の道を選んでくれると言っても、それはあくまでいざ≠ニいう時まで追い込まれたらの話であって、二人の関係を今≠ざわざ大っぴらにするのは愚かなことだ。それくらいは心得ている。
 だけど、もう少し――せめて今、邪魔者のいないこの一時[ひととき]くらい、余韻に浸りたいと願うのは、許されないことだろうか?
(……ちょっと、寂しい……かも……)
 ちらりと、サイファは難ずるようにユウザを一瞥した。彼は何とも思わないのだろうか?
 すると、目が合ったユウザが小さく舌打ちして、立ったまま、寝台で横座りしているサイファの頭を自分の腹に引き寄せた。
「そんな顔をするな。昨夜も言ったが、私がどれほど自分を抑制しているか、まだわからないのか?」
 苦りきった表情をされ、サイファは戸惑った。素っ気ないのはユウザの方なのに、自分は被害者だ、と言わんばかりの彼の口ぶりが釈然としない。
「つまり……こういうことだ」
 溜息まじりに呟いたかと思うと、ユウザはいきなりサイファを寝台に押し倒した。そのまま、あっという間に組み伏せられて、身動きできない状況に追いこまれる。
「私だって、想いはお前と同じ――いや、むしろ強いだろう。許されるなら、今すぐ、お前を抱きたいのだから。四六時中、寝所に籠って、誰にはばかることなく、お前が私の女≠セと公言できたなら、どれほど気が楽か知れない。だが――」
 お前は神の所有物≠セ、とユウザは忌々しげに唇を引き締めた。
「陛下は、お前を殊の外大事になさっている。それに、こう言っては何だが、お前に政治的な利用価値を見出しておいでなのも確かだ。だからこそ、事は慎重に運ばねばならない」
 深く一息吐いて、きっとサイファを見据えてくる。
「良いか? 何度でも言うが、お前を失うくらいなら、私は全てを擲つ。だが、私に、いくらその覚悟があったところで、何の策もなしにお前を奪わせて下さるほど、皇帝陛下は甘いお方ではない。もし今、私が下手に神の所有物[おまえ]≠ノ手を出せば、陛下は皇太子[わたし]≠フ力の及ばぬところまで、お前を遠ざけようとなさるだろう」
 そうなっては困るのだ、とユウザは咎めるように吐き捨てた。わかったら、いたずらに私を試すような真似はするな、と熱を帯びた瞳で睨まれ、体の芯がとろけそうになる。
「ごめん」
 サイファは素直に謝った。
 しかし、彼のつれない態度の裏にある激しい素顔と向き合えたことが、不謹慎にも嬉しかった。自然と顔が綻んでしまう。
「……どうやら、お仕置きが足りないらしいな」
 ずいとユウザが顔を近づけてきたので、サイファはとっさに身構えた。また、昨夜のような接吻[キス]をされるのかと思った。
 しかし、彼は額に軽く唇を当てただけで、すぐに体ごと離れた。ギシリと寝台を軋ませ、床に降り立つ。
 不審に思って、顔を上げると、彼は唇の端にからかうような笑みを浮かべていた。
「そんな、もの欲しそうな顔をしても無駄だ」
 これはお仕置きなのだから、と悪魔的に微笑む。ご褒美が欲しければ、もっと賢くなれ。
「なっ! 何が、ご褒美だ!」
 サイファは頬が染まるのを感じながら、怒鳴り返した。
 やっぱり、ユウザは意地悪だ。人の気持ちを知っていて、さらりと痛いところを突いてくれる。
 認めるのは癪だが、彼の言う通り、おでこに接吻[キス]されたくらいでは既に物足りない自分がいた。
 相変わらず、自分ばかりが翻弄されているのが恨めしい。
「とにかく、今はお前の呪いを解くことが、第一。それまで、ご褒美はお預けだ。――さ、もう行け」
 ユウザは顎をしゃくって、促した。窓掛[カーテン]の隙間からは、もう朝の陽光が白々と漏れている。
 サイファは、そそくさと寝台を下りた。我慢しているという割には余裕綽々なユウザの領分から逃れるように、足早に戸口へ向かう。
「あぁ、そうだ。――サイファ!」
 部屋を出ようとした直前、ユウザは何かを思い出したらしく、呼び止められた。
「何?」
「今日は、襟の開いた服は着るなよ」
 唐突によこされた、謎の忠告。
 自分の首筋をトントンと指先で指し示した彼は、なぜかひどく満足げだった。
- 2015.10.04 -
 

TREASURE

歌帖楓月 様より、このシーンをイメージした素敵なイラストを頂戴しました!
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