Written by Ao Kamisawa.
『奴隷 I 種』
For. 我桜焔乃 様 - ご愛読感謝企画 : 2nd
番 外 編  御者[ぎょしゃ]にも[みみ][]りまして
 雲一つない青碧[せいへき]の空を疾駆する一団があった。
 壮年の男が跨る栗毛の天馬と、小柄な少年が御者を務める六頭立ての箱馬車である。
 一行が目指すのは、眼下に広がる樹海の深部、ディールという名の農村だった。村へと続く細い一本道を目標[めじるし]に、奥へ、奥へと突き進む。
(そろそろ、かな?)
 濃紺の上着のポケットから、少年は金色の懐中時計を引っ張り出した。二時五十二分、三十二秒、三十三秒……。
(さっき休んだのが二時半だから……もう少し行けるな)
 時間を確かめ、独り頷く。
 彼が操る六頭の天馬は、自身の体重に加えて、大きな車まで持ち上げているため、体力の消耗が激しかった。だから、出来ることなら三十分、無理をさせても一時間に一度の割合で、休ませなければならない。
「もうひと踏ん張りだからな」
 馬たちの背に声をかけながら、少年は目にかかる薄茶の猫っ毛を払い除けた。それから、時計を仕舞おうとして……仕舞えない。文字盤に[えが]かれた荘厳な鷲の姿に、つい目尻を下げて見惚れてしまう。
(やっぱり、カッコイイなぁ)
 精巧な細工が施されたこの金時計は、二年前、少年の十歳の誕生祝いとして、大切な人から贈られた品だった。いや、もっと正確に言うなら、大切な人の持ち物だったのを、ねだって、ねだって、ようやく貰い受けたのだ。
 その証拠に、[ふた]の内側に刻まれていたのは少年の名前、パティ・パジェットではなく、彼の大切な人――ユウザ・イレイズの名であった。
 彼はパティが忠誠を誓った主人であり、剣の師であり、六つ年上の大好きな幼なじみである。
『これと同じ物が欲しいのなら、私の使い古しなどでは無く、新品を贈るぞ?』
 おねだりした時、ユウザはそんな風に言ってくれたのだが、パティにとってはユウザが使っていた品≠ニいうところに意味があったのだ。
「……スゥオル・ユウザリウス」
 ぽそりと呟き、パティは、てれてれと頬を弛めた。
 それは、剣の道を歩む者なら誰もが憧れる、最強の称――スゥオル≠戴く、ユウザの[あざな]である。
 もともと、冥界の守護神、ユウザリウスからその名を貰っているユウザは、神速を誇る剣捌きと、およそ人らしからぬ冷厳な美貌から、[]の男神の化身と称えられていた。
 対戦相手を冥界へ[いざな]う、死の美神――。
 しかし、ユウザが神と呼ばれるには、他にも理由があった。なぜなら、彼の体には本当に神≠フ血が流れているからである。脈々と受け継がれた、イグラット皇家の血が――。
 神住まう豊穣の地、イグラット帝国。
 生き神≠スる皇帝を[おさ]と定めるこの国には、古くから、厳格な種姓制度が敷かれていた。
 神の末裔であり、政治と宗教を司る皇族、彼らに仕える特権階級の宮人[みやびと]、財界を担う商人、平民、奴隷の順に階級が設けられている。
 中でも奴隷は、その用途に応じて三つの身分に分けられた。天与の美貌を以って主の心を慰める、上級の I 種。身の回りの雑事をこなす、中級の II 種。労働力として肉体を酷使する、下級の III 種である。
 ユウザは皇族の中でも直系の子孫――現皇帝、ハシリス四世の孫であった。それも、ただの孫ではない。
 自分より身分の高い者に命じられれば、何人といえどもその者に隷属せねばならない――という帝国独自の奴隷制度により、皇帝[]に召された栄えある奴隷 I 種なのだ。
 その華麗なる主人に仕えるパティもまた、由緒ある宮人の大家、パジェット家の跡取り息子という高貴な身の上であった。
 しかし、彼にその自覚は無く、専らの関心事は、如何[いか]にしてユウザに構ってもらうか、だった。
 幼い頃は四六時中くっついていられたのに、近頃では、ユウザが帝都防衛の職務で忙しかったのと、自分自身にも御者の仕事が出来たのとで、遊んでもらう時間がめっきり減ってしまったのである。
 だが、そんなパティに千載一遇の好機が巡ってきた。
 ユウザと一緒に旅をするという、夢のような仕事が舞い込んできたのだ。
「えへへ……」
 今度こそ時計を仕舞いながら、パティは忍び笑いを漏らした。
 こうしている今も、後部座席には大好きなユウザが座っている。耳を澄ませば、ほら、声だって……。
「えっ!? 何処!? 何処ですのっ!?」
 予想に反して聞こえてきた少女の声に、パティは小さく舌打ちした。
 この甲高い声の主は、ミリア・アンバスという。
 五年前から、行儀見習いとしてユウザのII 種になった商家の娘で、顔を合わせると必ず喧嘩になる、パティの宿敵であった。
(こいつがいなければ、もっと良い旅になったのに……)
 チビで、生意気で、いくら成人しているとはいえ、自分とたったの三歳しか違わないくせに、やたらと年上ぶるのが気に食わない。おまけに、身分はこっちの方が上なのに、全然、敬意を払うつもりがないのだ。
 一度、その事をユウザに愚痴ったら、笑顔で受け流されてしまった。
『権威ある者に媚びない姿勢が、潔いではないか』
 私は好きだぞ、と。
(ユウザ様の好みって、絶対、変だよ)
 いくら尊敬するユウザの言葉でも、あれだけは戴けない。
 女は、可愛くて素直なのが一番。
 長年に渡るミリアとの激しい舌戦で、パティの価値観は、ほぼ固まりつつあった。結婚するなら、淑やかで優しい女。ミリアみたいに気が強すぎる女は、頼まれてもご免だ。
 だけど、同じ気の強い女でも――。
「そっちじゃないよ、あっちだってば! ほら、あれ!」
 パティの耳に、もう一人、別の少女の声が飛び込んできた。少し低めの、涼やかな美声。
 今、最も皇帝の寵を受けている奴隷、サイファ・テイラントだ。
 珍しい白い鷲を献上しに来た際、陛下の目に留まった美貌の猟師で、宮廷を色々な意味で騒がせた I 種である。
 というのも、平民が皇帝の奴隷にと望まれたのは帝国史上初の事で、まして、その栄誉を踏み躙るような逃亡騒ぎを連日連夜繰り返した挙句、帝都防衛隊長だったユウザからその華々しい職を奪い、奴隷の教育係などという大降格の憂き目に遭わせた迷惑女なのだ。
 今回の旅も、重度の懐郷病に陥った彼女の里帰りが目的であって、ユウザはお目付け役として同行しているだけである。
(サイファ・テイラントも口は悪いし、男勝りだし、どうしようもないお転婆だけど、ミリアとは比べ物になんないくらい可愛いからなぁ……)
 彼女が相手なら多少の生意気は許せる、とパティは思う。人間、顔の良し悪しが全てとは言わないけれど、サイファの容姿の美しさは、他のあらゆる欠点を補ってなお余りあるのだ。
 腰まで流れる銀色の髪。大粒の青玉みたいに澄んだ瞳。すんなりと伸びた、白い手足。それから……。
「あ゛」
 サイファの容貌を詳細に思い浮かべていたパティは、今朝、ユウザを起こしに行った時、偶然、見てしまった彼女の[すべ]らかな肩まで思い出し、頬を赤らめた。ついでに、その剥き出しの肌に唇を寄せた、ユウザの[なま]めかしい横顔も……。
(ユウザ様のあんなお顔、初めて見たなぁ……)
 いつもパティに笑いかけてくれる穏やかな深緑の瞳が、あの時は、ものすごぉく意地悪な、それなのに、つい惹きこまれてしまう不思議な色を帯びていた。
 何だか、見てはいけないものを見てしまったような、でも、ずっと見ていたいような……。
(あれって、やっぱり、あれなのかなぁ?)
 パティが心の中で呟いた時。
「あれでは解らぬぞ」
 後部座席から、低くて張りのある男の声がした。それは、パティが聞きたいと願っていた、ユウザ・イレイズの声に他ならないのだが。
「うええっ!?」
 変な声を出し、パティは思わずふり返った。
(何で!? どうして!?)
 ユウザ様には僕の心の声まで届いちゃうんですかぁっ!? と、軽い混乱をきたしていると。
「――ミリア、もう少し右だ。今、鳥が飛び立った梢の下を見ろ」
 ユウザの次の言葉で、ほっと息を[]く。
 どうやら、さっきのは、あっち、とか、そっち、とか、代名詞を連発していたサイファへのツッコミだったらしい。
(あー、ビックリした)
 冷汗を拭いながら、パティはコツンと自分の頭を叩いた。
(ユウザ様が女なんかに[うつつ]を抜かす訳ないじゃないか)
 翠玉の瞳に垣間見た大人の男の欲望を、見なかった事にしてしまう。あんなのは、ただの戯事[ざれごと]。ユウザ様は孤高の剣士なんだから、と。
 憧れのユウザ様≠、何処までも美化しているパティ少年であった。
(それにしても――)
 パティは、なおも耳を澄ました。さっきから何の話をしているのだろう?
「ええ〜? 判りませんよぉ」
 ミリアが少し疲れたような諦め声を出すのに対して、サイファは興奮気味の喚声を上げ続けている。
「あっ! そこにもいる! ほら、あっちにもっ! うわっ、そっちにもいる!」
 相変わらずの代名詞の羅列で、声だけを聞いているパティには、何が何だか、さっぱりである。
 でも。
「ああ、もう、口惜[くや]しいなぁ!」
 今なら獲り放題なのにっ! という、最後の台詞で、ようやく判った。密生した木々に潜む動物たちを、サイファが目聡く見つけては、ミリアに居場所を教えていたのだ。
(……何が居るんだろう?)
 好奇心に駆られて、パティもキョロキョロと下界を見渡してみた。
 しかし、辺り一面、鬱蒼たる緑で、それらしい姿は見つけられない。確かに、生き物たちの息吹は感じるのだけど……。
「あそこにいるのは何だ? やけに動きが速いが……」
 よほど観察力が鋭いのか、ユウザにはちゃんと動物の姿が見えているらしかった。それだけでも驚きなのに。
「ああ、あれは飛鹿[とびしか]の雄だよ。俊敏だし、跳躍力が普通の鹿の倍以上あるから、狩るのは結構難しいんだ。……あれは毛色が薄いし、飛び方がおかしいから、まだ子供かもしれない」
 ユウザの問いに、サイファが細かな解説つきで答えている。全く、信じられない動体視力だ。
(僕も見たいなぁ……鹿の子供)
 つい動物捜しに夢中になっていると、突然、馬車の高度が、がくんと落ちた。天馬の羽ばたきが、弱々しくなっている。
「パティ!?」
「何事だっ!?」
 馬車の内からユウザの呼び声がし、伴走していた護衛、グラハム・バリが御者台の隣に馬を並べる。
「すみません! 馬を休ませます!」
 パティはあたふたと手綱を締め、森の細道に馬車を緊急着陸させた。
 時計を見れば、三時二十八分、五十六秒、五十七秒……。
 危うく、天馬を過労死させるところだった。
「――調子はどうだ?」
 天馬に水を飲ませているところへ、ユウザが様子を見に来た。黒い外衣[マント]が歩みにあわせて翻り、縫いつけられた紅い宝石がきらりと光る。
「問題ありません」
 ちょっと無理をさせちゃいましたけど、とパティが頭を掻き掻き報告すると、ユウザは微苦笑を浮かべた。
「馬の話では無い。お前は疲れていないか、と聞いているのだ」
 腰を屈めてパティの顔を覗きこむ。具合が悪いのなら、私が手綱を取っても良いのだぞ? と。
「いいえ、大丈夫ですっ!」
 パティはぶんぶんと首を振った。さっきのは単なる自分の不注意であって、ユウザに心配してもらう資格など、これっぽっちも無いのだ。
 しかし――。
「それなら良いが、くれぐれも無理はするなよ」
 目線を合わせたまま、ユウザがパティの頭を撫でてくれる。私とお前の仲だ。遠慮は要らぬ、と微笑んで。
「はい!」
 パティは素直に頷いた。
 ユウザに余計な気を使わせてしまった後ろめたさよりも、自分を気遣ってもらえた喜びの方が勝っていた。
 子供の頃も、大人になった今も、ユウザが自分に向ける笑顔は変わらない。それが、嬉しくて仕方ないのだ。
 強くて、聡くて、恰好良い、パティの望むもの全てを持っているユウザ。大好きな、大好きな――。
(僕のお兄ちゃん)
 畏れ多くて、一度も口にした事は無かったけれど、心の中では、何度呼びかけたか分からない。ユウザ様[お兄ちゃん]の行く所なら、僕は何処へだってついて行くんだ。
 せめて、その心意気だけでも知っておいて欲しくて、パティが口を[ひら]きかけた時。
「ユウ――」
「ユウザ様〜! お菓子でも召し上がりませんか?」
 パティの声をかき消す能天気な声を上げながら、ミリアが馬車から降りてきた。焼き菓子の入った箱を抱え、ユウザに纏わりつく。ミルゼア直輸入の逸品ですのよ、と。
(クソぅ!)
 会話を邪魔された腹いせに、パティはミリアに聞こえるよう、大きな声で悪口を言った。
「ああ、ヤダヤダ! そんな物ばっかり食べて、ぶくぶく太ってる奴がいるから、車体が重たくなるんだよなぁ」
 可哀想に。頑張って飛ぶんだぞ、と天馬の鼻を撫で撫でしながら。
 すると、ミリアの栗色の瞳がパティを見据えた。
「あら、残念ですわ。その可哀想な天馬たちを酷使して、墜落死の一歩手前まで追い込んだ極悪非道なパティ様の分も、ちゃぁんと御座いましたのに」
 一見、愛らしい丸顔に零れんばかりの笑みを湛えて、猛毒を吐く。
「うぐっ……」
 墓穴を掘ったパティは、水の入った桶を持ち、すごすごと退散した。全く以って、ミリアの言う通り。
 後ろで、ユウザの苦笑が漏れた気がした。
「あーあ」
 馬たちが飲み残した水をバッシャと撒きながら、パティは苦い溜息をこぼした。また、負けちゃったよ。
 口達者で、恐ろしく舌が回るミリア。これまでの戦績をふり返れば、パティの方が圧倒的に劣勢であった。
(何か、ミリアをぎゃふんと言わせる、良いネタはないかなぁ?)
 あれこれ思いを巡らせつつ、むうぅっと唸ったところへ。
「食べるか?」
 いきなり、目の前に茶色い瓶が突き出された。
「うわっ!」
 驚いて飛び退[しさ]ると、いつの間にか、サイファが隣に立っていた。足音どころか、気配すら感じさせずに。
「疲れた時は、甘い物をとるといいんだって」
 動揺するパティを尻目に、にっこり笑ったサイファが、鼈甲[べっこう]色の飴玉を摘まんで彼の顔に近づける。ほら、口開けなよ、と。
「い、いいよ! 自分で取るから」
 ドクドクしている心臓を[なだ]めながら、パティは、自分の体が本当に甘い物を要求しているのかどうかも判らないまま、瓶に手を伸ばした。ただ、サイファに食べさせてもらうのだけは恥ずかしいと、反射的に思ったのだ。
 それなのに、パティの指が届く前に、サッと瓶を引っ込められた。
「駄目だよ。あんたの手、土で汚れてるんだから」
 微かに眉をひそめたサイファが、はい、あーんして、とパティを促す。丸っきり子供扱いだ。
 それは、かなり屈辱的ではあったが、手が汚いのは事実なので、パティはしぶしぶ口を開けた。サイファの指先が唇に触れたと思った途端――。
「んあっ!?」
 口いっぱいに広がった濃厚な蜂蜜の味に、パティは目を[みは]った。
 甘かった。
 美味いとか不味いとかいう以前に、ひたすら甘かった。
 砂糖の分量を間違えたんじゃないかと思う程、べらぼうに甘かった。
「美味いか?」
 サイファが小首を傾げて、可愛らしく問いかけてくるので、パティは、ん、と頷いた。本当は、口の中が甘ったるくて、甘ったるくて、水が欲しくて仕様がなかったのだけど。
「良かった」
 サイファは満足げな笑みを浮かべると、今度は、道端で胡座をかいているグラハムの元へ歩いて行った。
 その様子を遠巻きに見ていると、たった今、パティにしたのと同じような遣り取りの末、グラハムの口の中にも飴を放り込んでいた。
 直後、滅多に表情を変えないグラハムが慌てて水を呷った姿は、中々の見物[みもの]であった。激しく[むせ]る彼の背中を、サイファがせっせと[さす]ってあげている。
(……あれの何処が魔女なんだろう?)
 その懸命な姿を見ながら、パティは首を傾げた。宮廷で囁かれていた、サイファの陰口を思い出す。
 白い鷲を操る、銀の魔女――。
 彼女が献上品として連れてきた鷲は、とにかく凶暴で、ちょっと近づいただけで、すぐに襲いかかってくるらしい。しかも、その鷲を[けしか]けているのが銀の魔女――サイファなのだとか。
 実際、パティの知合いにも、何人か負傷者がいたし、昨日も、ユウザが右腕に怪我を負わされたので、あの鷲が人を襲うのは確かだった。
 だけど……。
『なに、この傷は私の[とが]だ』
 パティが事件の真相を尋ねた時、ユウザは、くすくす笑っていた。腕に巻かれた包帯を見つめながら、あの鷲ほど優秀な護衛もおらぬ、と。
 結局、詳しい事は話してくれなかったけれど、あの時のユウザの笑顔に曇りは無かったと思うのだ。むしろ、嬉しさを隠し切れずにいるような、晴れやかな笑みだった。
 舌に残る甘さを感じながら、パティは首を[ひね]った。真実は何処にあるのだろう?
「――あんたも食うか?」
 飴を配り歩いていたサイファは、車内に戻ろうとしたユウザにも、一粒摘まんで差し出した。黄褐色の飴玉を彼の口元に近づける。
 それに、ユウザが応じて――。
「うわあっ……」
 遠目だと、サイファの指に口づけているように見えるユウザの姿に、パティは息を呑んだ。
 まるで、完美な群像みたいな二人。あまりにも綺麗すぎて、そのまま帝国美術館の陳列室に飾っておきたいくらいだ。
 しかし、ユウザの唇が飴を咥えた瞬間。
「……お前、これ……」
 ユウザは眉間を押さえて黙りこんだ。あまりの甘さに口が利けないのかと思いきや、げんなりと呟く。料理用の濃縮固形蜂蜜ではないか、と。
(は? 蜂蜜? 料理用?)
 ユウザの言葉に、パティは目を点にした。それじゃあ、さっき自分が食べたのは……?
「そうだよ」
 渋面を作るユウザに向かって、サイファが平然と頷く。村にいた頃、よく、おやつ代わりに食べてたんだ、と。
(……だからか)
 甘過ぎた飴の正体見たり甘味料。
 だが、彼女にとっては懐かしのおやつ≠ネので、それを他人に勧めた事に、罪悪感はもちろん無い。
「……食べ過ぎには注意しろ」
 思い出を[けな]すのは気が引けたのか、ユウザは静かに首を振ると、疲れたように車に乗りこんだ。
 その後に、サイファが続く。蜂蜜は体にいいんだぞ、なんて、[もっと]もらしい事を言いながら。
「変な女」
 御者台に戻りながら、パティはぽそりと呟いた。
 人々を翻弄する、美しい銀の魔女――。
 やはり、噂は真実だった。
(僕の相手はお前たちで、本当に良かったよ)
 大人しく並んでいる黒毛の天馬たちを見つめ、パティはしみじみ思う。さすがのユウザも、サイファを[ぎょ]するのは、きっと、とんでもなく厄介だ。
「さあ、行こう」
 気を取り直して、パティはしっかり手綱を握った。天馬を鞭打ち、一気に蒼穹[そうきゅう]へと翔け昇る。
 少しずつ、少しずつ、西へ傾いていく太陽。
 ぐずぐずしている暇は無い。
 魔女の故郷[ふるさと]は、まだまだ遠いのだ。
終   - 2003.10.26 -

POSTSCRIPT

* 反転させて読んで下さい。
『奴隷 I 種』番外編、第四弾でございます。
今回のお題は「里帰りの際、馬車の内で交わされた会話」でしたので、馬車といったら御者のテリトリー。パティ視点でお送りしてみました。しかし、でき上がってみれば、「車内」よりも「休憩中」の会話が殆どだったという……(汗)。
すみません、焔乃様。リクエストから微妙に外れておりますが、作者の力不足ということで、何とぞ勘弁して下さい(土下座)。
その代わりと言っては何ですが、本編では見られない、サイファとユウザの「落ち」つき半甘エピソードをお楽しみいただければ……と。
神沢 青
 
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