Written by Ao Kamisawa.
『Sweet Sweet Bitter』
第 4 話  偶然[ぐうぜん]にしてもタチが[わる]
「高見君ってさ――」
 自分の名を呼ばれたわけでもないのに、萩子は顔を上げていた。
 教卓に置かれたCDラジカセから、アイリーン・キャラの『ホワット・ア・フィーリング』が大音量で流れている。
 映画音楽観賞愛好会の活動は、週一回。
 メンバーは幽霊会員を含めた十五人で、内、一年生の女子五人だけが実質的に活動している。
 とはいえ、その内容は、近所のレンタルCDショップで映画のサントラを借りてきて、皆で聴くだけという、極めてシンプルなものだ。
 映画研究部のように自主映画を作ったり、作品の批評をするような、マトモな活動らしい活動は一切ない。音楽を聴きながら、持ち寄ったお菓子をつまみ、映画とは全く関係のない話で盛り上がるのが常だ。
 その話題として恭介が取り上げられた事は一度もなかったし、取り上げられる日が来るとも思っていなかったので、ビックリしたのだ。……そう、驚いただけ。
「高見君ってさ、かなりイイ性格してるよね」
 口を切ったのは、隣のクラスの子だった。 続いて、クラスメイトの証言が並ぶ。
「そうそう! すんごい自己中」
「あ、やっぱ、皆、そう思ってるんだ? 私、高見君と委員会一緒なんだけど、一人行けば充分だろ、とか言って、いっつも出てくれないんだよねー」
「それ、分かるわ。あたしも、週番の仕事、全部、押しつけられた事あるもん」
 にわかに始まった恭介の悪口大会に、萩子は心の中で喝采を送った。皆、やっと目を醒ましてくれたのね、と[いた]く感慨深げに。
「大体さ、態度が素っ気なさ過ぎだよね」
「人を見下してるみたいなとこあるし、冷たいし」
「でも――」
 うんうん頷きながら聞いていた萩子は、しかし、次の全員一致の見解に、思わずコケそうになった。
「顔≠ヘイイんだよねぇー」
 語尾にハートマークをつけた声が、示し合わせたかのように見事に揃う。
「うちの学年では、ピカイチでしょ」
「どんなに性格悪くても、あのルックスだったら許せちゃう」
「水泳部だけあって、いい体してるしね」
 先ほどの不平の山は、一体、何処に消えてしまったのだろうか? 映画音楽観賞愛好会≠ェ、たちまち、高見恭介ファンクラブ≠ヨと一変する。
[みんな]、甘いなぁ……)
 憂いの溜息をこぼし、萩子は終わってしまったCDを交換すべく、席を立った。ラジカセの横に平積みされたアルバムの中から、適当に一枚選び出す。
 『ピアノ・レッスン』
 映画の内容自体は中々にヘビーだが、主人公が浜辺で奏でるピアノ曲――『楽しみを希う心』は、嫌いじゃなかった。
 主人公の心情を託したメロディーは流麗ながらも激しさを秘めていて、主役を演じる役者以上に雄弁だった。映画音楽♀マ賞愛好会で観賞するに相応しい一曲だと、つくづく思う。
 OPENボタンを押して『フラッシュダンス』を取り出し、替わりに『ピアノ・レッスン』をトレイに載せる。
(第一、あそこまで性格ゆがんでたら、顔見るのも嫌になるってもんよ)
 取り出したディスクをケースに仕舞いながら、萩子は心中で異議を唱えた。
 画鋲の刺し傷は、二日で治った。
 恭介を恭ちゃん≠ニ呼んだ明くる日、萩子は、かなり緊張しながら彼と顔を合わせた。自分のささやかな反撃≠ノ恭介がどう出るか、怖くもあり、また心の片隅では、何か≠ェ変わるような、わずかな期待もあったから。
 しかし、向こうは全く気に留めていなかったばかりか、大事を取って巻いていた絆創膏を見て、いつもと寸分違わぬ嘲笑を浮かべてくれた。
『まだ、傷口ふさがんねぇの?』
 栗色の瞳を意地悪く細め、若いくせに生命力ゼロだな、とサラリと言う。それで、おしまい。
 萩子は、またしても大きな肩透かしを食らった。ささやかな反撃≠ヘ、完全な不発に終わったのだと痛感する。
 あれから一週間、恭介の態度も、二人の距離も、相変わらずだった。
 ついさっきも、トイレ掃除をサボろうとした彼に、むりやりデッキブラシを持たせ、美化委員会の回し者! と、罵られたばかりである。
 恭介の気まぐれな優しさに振り回され、一時[いっとき]でも甘い感傷に浸ってしまった自分が、アホに思えた。
 もう二度と、騙されるものか。
 そう頭に言い聞かせながら、PLAYボタンを押し、話の輪に戻る。
「上級生の中にも、高見君狙ってる人、多いらしいよ」
「知ってる、知ってる。この前、三年の先輩に追いかけ回されてるとこ見ちゃった」
「でも、一番、頑張ってるのは、A組の堀口さんでしょ。何たって、高見君目当てで、水泳部のマネージャーになったくらいだから」
「ええっ、マジで!?」
 今まで、ずっと聞き役に徹していた萩子は、つい口を挟んでしまった。
 あの恭介の為にそこまでするなんて、何と物好きな! と、本気で驚いただけなのだけど。
「おや、萩子さん。随分、食いつきますねぇ?」
「何、何? 高見君と堀口さんの事、気になる?」
 噂好きの少女たちが、一斉に目を輝かせる。思わず、人のこと言えないじゃない、とツッコミたくなるほどの食いつきぶりだ。
「そういえば、高見君、萩子ちゃんにだけは、自分から声かけてるよね?」
「ああ、言われてみれば、そうかも!」
「そんな事ないよ!」
 思わぬ話の展開に、萩子は慌てて首を振った。
「何たって、萩ちゃん′トばわりだし」
「あれは単なる嫌がらせだってば!」
「今日も、萩子ちゃんの言うこと聞いて、珍しく、お掃除頑張ってたもんねぇ」
「いや、不平たらたらで、全然、頑張ってないし!」
「なんだ、意外と可愛いとこあるじゃん、高見君」
「ない、ない! 可愛いとこなんて、一切、ないから!」
「そっか、そっか。本命は萩子ちゃんか」
「ちょっとぉ! シカトしないでよ!」
 主張をことごとく無視され、萩子が声を荒げた時、再び、皆の声が揃った。
「照れなくていいから」
 マイケル・ナイマンの物憂げな旋律が、エンディングに向けて、うねるように上り詰めていく。
「……全然、そんなんじゃないのに」
 ぶつぶつと文句をたれながら、萩子は借りたラジカセを職員室に返しに行った。
 本来なら、ジャンケンで負けた者が引き受ける役目なのに、当てつけた罰よ、などと、見当違いな罪を着せられ、押しつけられた。全く、踏んだり蹴ったりもいいとこだ。
 更に、不運は続き。
「ああ、及川、ちょうどいい所に来た!」
 担任につかまり、明日のホームルームで使うという、『進路の手引き』なる小冊子を四十部、一人で教室まで運ぶ羽目になった。
 本当に、重ね重ねついていない。いや――。
(絶対、何かに憑かれてる)
 妙な確信を抱きながら、萩子はその元凶≠ノ思いを馳せた。
 確かに、恭介と渡り合っている女子は、自分しかいないような気がする。誰かが言ったように、彼に話しかけられるのも自分だけ。端から見れば、勘繰りたくもなるかもしれない。
 しかし、それは萩子自身も不思議に思っていた事だった。
 恭介は、幼なじみとしての萩子≠ヘ無視するくせに、今の萩子≠ノは、何かにつけて絡んでくる。
 慌てふためく自分を見て楽しんでいるのだろう、というのが、萩子の一応の推理だったが、それだけでは、やはり腑に落ちない。
 人をからかって、おちょくって、振り回して。
 その先に、彼は何を望んでいるのだろう? やはり、皆が言うように――。
「まさか!」
 ふと頭を過ぎった自惚れを、萩子はすぐさま笑い飛ばした。
 近頃のゴタゴタで忘れてしまいそうになったが、自分はまだ、恭介を許してはいないのだ。流されてはいけない。
 今、こうして雑用を押しつけられているのだって、本を正せば、全て恭介の所為なのだから。
 それなのに、何となく心が軽やかなのは、なぜだろう?
 両手で冊子の束を抱き、頭の中では『楽しみを希う心』をリフレインさせながら、萩子は、薄闇に包まれた廊下を歩いた。
 ほとんどの部活動が終了した時刻で、すれ違う生徒もまばらだった。一年生の教室が並ぶ東校舎の一階は、特に閑散として、歩く萩子の足音だけが、大きく響いている。
 E組の前まで来たところで、萩子は、ふと足を止めた。F組の教室から、ぼそぼそと話し声が漏れてくる。
(誰かいるの?)
 暗い中、電気もつけずに何をしているのだろう? と、不審に思いつつも、早く用事を済ませてしまいたくて、萩子は開け放たれたままの戸口に近づいた。
 だが、そこで信じられない光景を目の当たりにし、立ちすくんでしまう。
 窓際の席――机に腰掛けた少年に、小柄な少女が抱きついていた。
 まるで、学園ドラマのワン・シーン。
 夕陽を背にした二人の横顔は、逆光で良く見えない。しかし、そのシルエットだけで、男子生徒が誰なのか、すぐに判った。
 少しクセのある、長い前髪。均整の取れた手足と、がっしりと広い肩。
 間違いなく、恭介だ。
 そして、彼の胸に体を預けていた少女が、ゆっくりと顔を上げた。それは、三年の先輩でも、A組の堀口さんでもない、萩子の良く知る可愛い人――河合由香子だった。
 彼女の両腕が甘えるみたいに恭介の首に絡まり、彼の頭を引き寄せる。恭介の腕もまた、自然に由香子の腰に回されて。
 その後は……。
 萩子は、ほとんど反射的に走り出していた。
 頭がおかしくなりそうだった。
 校内でベタベタいちゃついているバカップルを、たまに見かける事はある。けれど、あんなに際どい濃厚なキスシーンなんて、見た事ないし、見たくもない!
 昇降口まで夢中で走って、萩子は、はたと手の中に冊子がない事に気づいた。しかし、いつ、何処で落としてきたのか、さっぱり記憶にない。
 探しに戻るべきだ、とは思った。でも、もう一度、あの二人がいる教室に近づく気には――近づく勇気は湧いてこなかった。
「もう、ヤダ……」
 萩子は下駄箱の前――先週、由香子が持ち上げようとしていた簀子[すのこ]の上に、膝を抱えて蹲った。そうしながら、キッカケはあの一件だったかもしれない、などと、何処か冷静に思ったりする。
 こうして、立っていられないほどのショックを受けたのも、きっと、他人のラブ・シーンを見てしまったからだけではない――。
「やっぱり、全然、そんな事≠ネいじゃない」
 萩子は嘲るように呟いた。
 あんな場面……見たくなかった。
- 2004.08.07 -
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