「高見君ってさ――」
自分の名を呼ばれたわけでもないのに、萩子は顔を上げていた。
教卓に置かれたCDラジカセから、
アイリーン・キャラの『ホワット・ア・フィーリング』が大音量で流れている。
映画音楽観賞愛好会の活動は、週一回。
メンバーは幽霊会員を含めた十五人で、内、一年生の女子五人だけが実質的に活動している。
とはいえ、その内容は、近所のレンタルCDショップで映画のサントラを借りてきて、皆で聴くだけという、極めてシンプルなものだ。
映画研究部のように自主映画を作ったり、作品の批評をするような、マトモな活動らしい活動は一切ない。音楽を聴きながら、持ち寄ったお菓子をつまみ、映画とは全く関係のない話で盛り上がるのが常だ。
その話題として恭介が取り上げられた事は一度もなかったし、取り上げられる日が来るとも思っていなかったので、ビックリしたのだ。……そう、驚いただけ。
「高見君ってさ、かなりイイ性格してるよね」
口を切ったのは、隣のクラスの子だった。 続いて、クラスメイトの証言が並ぶ。
「そうそう! すんごい自己中」
「あ、やっぱ、皆、そう思ってるんだ? 私、高見君と委員会一緒なんだけど、一人行けば充分だろ、とか言って、いっつも出てくれないんだよねー」
「それ、分かるわ。あたしも、週番の仕事、全部、押しつけられた事あるもん」
にわかに始まった恭介の悪口大会に、萩子は心の中で喝采を送った。皆、やっと目を醒ましてくれたのね、と
甚く感慨深げに。
「大体さ、態度が素っ気なさ過ぎだよね」
「人を見下してるみたいなとこあるし、冷たいし」
「でも――」
うんうん頷きながら聞いていた萩子は、しかし、次の全員一致の見解に、思わずコケそうになった。
「顔≠ヘイイんだよねぇー」
語尾にハートマークをつけた声が、示し合わせたかのように見事に揃う。
「うちの学年では、ピカイチでしょ」
「どんなに性格悪くても、あのルックスだったら許せちゃう」
「水泳部だけあって、いい体してるしね」
先ほどの不平の山は、一体、何処に消えてしまったのだろうか? 映画音楽観賞愛好会≠ェ、たちまち、高見恭介ファンクラブ≠ヨと一変する。
(
皆、甘いなぁ……)
憂いの溜息をこぼし、萩子は終わってしまったCDを交換すべく、席を立った。ラジカセの横に平積みされたアルバムの中から、適当に一枚選び出す。
『ピアノ・レッスン』
映画の内容自体は中々にヘビーだが、主人公が浜辺で奏でるピアノ曲――『楽しみを希う心』は、嫌いじゃなかった。
主人公の心情を託したメロディーは流麗ながらも激しさを秘めていて、主役を演じる役者以上に雄弁だった。映画音楽♀マ賞愛好会で観賞するに相応しい一曲だと、つくづく思う。
OPENボタンを押して
『フラッシュダンス』を取り出し、替わりに
『ピアノ・レッスン』をトレイに載せる。
(第一、あそこまで性格ゆがんでたら、顔見るのも嫌になるってもんよ)
取り出したディスクをケースに仕舞いながら、萩子は心中で異議を唱えた。
画鋲の刺し傷は、二日で治った。
恭介を恭ちゃん≠ニ呼んだ明くる日、萩子は、かなり緊張しながら彼と顔を合わせた。自分のささやかな反撃≠ノ恭介がどう出るか、怖くもあり、また心の片隅では、何か≠ェ変わるような、わずかな期待もあったから。
しかし、向こうは全く気に留めていなかったばかりか、大事を取って巻いていた絆創膏を見て、いつもと寸分違わぬ嘲笑を浮かべてくれた。
『まだ、傷口ふさがんねぇの?』
栗色の瞳を意地悪く細め、若いくせに生命力ゼロだな、とサラリと言う。それで、おしまい。
萩子は、またしても大きな肩透かしを食らった。ささやかな反撃≠ヘ、完全な不発に終わったのだと痛感する。
あれから一週間、恭介の態度も、二人の距離も、相変わらずだった。
ついさっきも、トイレ掃除をサボろうとした彼に、むりやりデッキブラシを持たせ、美化委員会の回し者! と、罵られたばかりである。
恭介の気まぐれな優しさに振り回され、
一時でも甘い感傷に浸ってしまった自分が、アホに思えた。
もう二度と、騙されるものか。
そう頭に言い聞かせながら、PLAYボタンを押し、話の輪に戻る。
「上級生の中にも、高見君狙ってる人、多いらしいよ」
「知ってる、知ってる。この前、三年の先輩に追いかけ回されてるとこ見ちゃった」
「でも、一番、頑張ってるのは、A組の堀口さんでしょ。何たって、高見君目当てで、水泳部のマネージャーになったくらいだから」
「ええっ、マジで!?」
今まで、ずっと聞き役に徹していた萩子は、つい口を挟んでしまった。
あの恭介の為にそこまでするなんて、何と物好きな! と、本気で驚いただけなのだけど。
「おや、萩子さん。随分、食いつきますねぇ?」
「何、何? 高見君と堀口さんの事、気になる?」
噂好きの少女たちが、一斉に目を輝かせる。思わず、人のこと言えないじゃない、とツッコミたくなるほどの食いつきぶりだ。
「そういえば、高見君、萩子ちゃんにだけは、自分から声かけてるよね?」
「ああ、言われてみれば、そうかも!」
「そんな事ないよ!」
思わぬ話の展開に、萩子は慌てて首を振った。
「何たって、萩ちゃん′トばわりだし」
「あれは単なる嫌がらせだってば!」
「今日も、萩子ちゃんの言うこと聞いて、珍しく、お掃除頑張ってたもんねぇ」
「いや、不平たらたらで、全然、頑張ってないし!」
「なんだ、意外と可愛いとこあるじゃん、高見君」
「ない、ない! 可愛いとこなんて、一切、ないから!」
「そっか、そっか。本命は萩子ちゃんか」
「ちょっとぉ! シカトしないでよ!」
主張をことごとく無視され、萩子が声を荒げた時、再び、皆の声が揃った。
「照れなくていいから」
マイケル・ナイマンの物憂げな旋律が、エンディングに向けて、うねるように上り詰めていく。